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つるさんのひとこえ 4月編 其の二

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 起きたときよりはずいぶん小雨になっているが、朝からずぶ濡れになるのは御免被りたい。潔くお花畑な傘を開き、学校へと向かった。

 僕は間違った選択をしてしまったのだろうか?
 ずぶ濡れにはならず、無事教室に到着した。したのはいいのだが、ここへ来るまでの間、往来を行き交う人々からの視線が非常に痛かった。それもそうだろう。今にして思えば一介の男子高校生といえば服装や見た目、細かいアクセサリーなんかにまで気を使って外面を最重要視するものだ。もしこんな傘で登校する高校生男子がいたら顔を見てみたいね。――毎日鏡の前で見ているのだけど。
 ああ。いつになれば僕に平穏な朝というものが訪れてくれるのだろうか。この学校に入学してから『平穏』や『平和』といった心休まる言葉達が手に手を取って僕から離れていく気がする。なるべく早く穏やかな朝が僕のもとに戻ってきてくれるよう祈っておこう。
 だがとりあえず今はこの傘を一刻でも早く僕の手から離すことだ。これ以上コイツが僕の持ち物だという認識が広まってしまう前に玄関なりロッカーなりとにかく僕の側から排除しないと。ロッカーだと開け閉めする際に下手に目立つ恐れがあるし、何より中に湿気がたまると後々悲惨なことになりかねない。ここは玄関一択だ。
 教室を出て玄関へと続く廊下で、どうやら今日、僕は一欠片のパンくずほどの運すら持ち合わせていなかったらしいことに無理矢理気付かされた。
 表面が少しだけ湿った鞄を机に置いて、着いたばかりの教室を後にしたまでは良かった。少し早足だったのが湿り気を帯びた廊下に相乗効果で災いしたのか、玄関へと通じる最初の曲がり角で足を滑らせて転んでしまったのだ。しかも傘の柄を極力人目につかせないよう抱き抱えるようにして持っていたために受け身も満足にとれず膝、腕、顔の順に床とキスをする羽目になった。――つまり、何を言いたいのかというと、非常に痛い。先ほどの視線の痛さなんて目じゃないくらいに、だ。僕のファーストキスの相手は学校の廊下でした!ワックスの甘い香りと血の味がとても魅惑的。なんてこと考えてる場合じゃない。とにかく起きあがらなければ。
 「ね、キミ、ハナから血、出てる。コレ、どぞ」
 「あ、ありがとうございます」
 差し出されたティッシュを有り難く受け取り、鼻を押さえる。
 朝からこんな不幸な目にあう僕に手を差し伸べてくれたのはどんな女神様なのだろう?痛みで朦朧としている頭のせいでぼやけた視界が、徐々にクリアになっていく。
 靴の色は赤色、つまりは僕と同じ一年生。紺の靴下に白い足、腰の辺りまで伸びた金色の髪。金色の髪。金髪。金?
 ――何ということだ!あれだけ素行のよろしくなさそうな方とは極力付き合わないようにしようと決めていたのに!このティッシュを受け取ってしまったことで僕は半永久的にこの人の舎弟、いや最悪この人のATMにされてしまうことだってあり得る。
 「キミ、だいじょぶ?」
 「大丈夫です!ピンピンしてます!ほらこの通りです!」
 大丈夫じゃなかった。全く。勢いよく立ち上がろうとした僕の意志に対して痛みを訴え続けた膝はついに職務放棄し、僕は再び廊下と熱いキスを交わすことになってしまった。
 「だいじょぶじゃ、ないみたいね。はい、手」
 次に差し出されたのは雪のように白い手。この手をとれば、僕とこの人との舎弟契約、若しくは金銭契約が成立してしまうんではなかろうか。そんな考えが瞬時に頭を駆け巡ったためにどうしたものかと躊躇っている僕の手首を、その白い手は優しく掴んだ。雪のように白く見えた手はとても温かく、一瞬だけ体の痛みが遠のいた。
 「ほけんしつ、いこ」
 痛む膝の代わりに僕を立ち上がらせたその手は、そのまま僕の手首を自身の肩にまわした。ここにつかまれ、ということなのだろう。悪そうに見える人ほど優しいというのは強ち間違いではないのかもしれないな。
 ええいままよ。後でどうなろうと知ったことか。今はこの人の優しさに全力で甘えてみようではないか。それにしても、肩につかまるというのはつまり、体を密着させる、というわけで。歩き出してからはそれが顕著に分かる。僕のわき腹の少し上あたりに柔らかいものが当たる感触が。
 そういえば、この人の顔をまだ見てない。一体どんな人なのだろうか。至近距離から見る彼女の顔――化粧気を感じさせない白い顔に艶やかなピンクの口唇、程良く主張する決して低くはない鼻にコバルトブルーの目。ん?
 「わたしのかお、なにかある?」
 「いやっ、何でもないです」
 何故だ。誰か今の僕の状況を説明してくれ。できれば五十字以内で。どうして僕は外人さんに肩をまわして、こんなにも密着して歩いているのだ。とにかく情報だ。情報を集めないと。
 「は、はうあーゆー」
 「そんなにほんご、聞いたことない。どゆ意味?」
 何故だ。どうして僕の英語が通じない?
 「意味?意味は確かお元気ですか?だったはず」
 「わかた。おぼえとく」
 何度か僕の英語を反芻して練習する彼女。
 「はうあーゆー。ど?じょずに言えた?」
 反則だ。この至近距離で上目遣いにそんな笑顔を見せられたら――。鼻を押さえているティッシュが更に水気を吸って重くなる。
 「そいえば、ほけんしつ、どこ?」
 知らないで歩いてたのか!というか僕だって三日前に入学したばかりでこの学校の保健室の場所はまだ知らない。このまま鼻から血を流し続けて失血死か。この子の腕の中で死ぬのも悪くない。我が生涯に一片の悔いなし。
 「えっと、犬島君、ですよね?どうかしたんですか?」
 死の淵に立たされていた僕の目の前に現れたのは担任の矢沢先生だった。
 「かれ、ころんで、血出てる。ほけんしつ、どこ?」
 「そういうことですか。保健室ならこの先の廊下を左に曲がったところよ。ところで、あなたは?」
 「わたしは、アナスタシア・イヴァナブナ、です。ロシアのウラジオストクから来ました。ナスチャ、て呼んでください。よろしくおねがいます」
 「やっぱり。あなたがアナスタシアさんね。犬島君は私に任せて、あなたは職員室へ行ってちょうだい。場所は分かるかしら?そこの階段を上ってすぐそばの部屋よ」
 「分かりました。おんにきます。じゃな、キミ」
 肩にまわしていた手を降ろし、今の自分にできる最大限の笑顔で彼女を見送った僕は矢沢先生と共に保健室へと向かった。
 
 「お邪魔します」
 軽いノックをしてから保健室と書かれたプレートの部屋に入る。今は全く鼻が機能していないが、おそらく様々な薬品の混ざった独特の匂いがすることだろう。
 この部屋の主はどこだ?ざっと見渡してみてもそれらしい人が見あたらない。それどころか、この部屋には僕と矢沢先生以外に誰もいない。ドアに掛かった手作りの看板には養護教員在室中、と書かれていたにもかかわらず、だ。
 「誰も、いませんね」
 「そうね。あ、ちょっと待ってくれる?」
 何を待てばいいのか分からないが、とりあえずそばにあったパイプ椅子に腰掛け、目で矢沢先生を追う。二つあるベッドのうちの一つ、僕から見て右側のベッドの前に立つと、勢いよくカーテンを開いた。
 「小橋先生、起きてください。私の生徒が怪我したんです」