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つるさんのひとこえ 4月編 其の二

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 4月8日(金) 雨後曇


 やけに騒がしい音で目が覚めた。時計の針は六時五分前を指している。半ば無理矢理ベッドから体を起こし、まだ眠りを欲しがっている目をこすりながら、外の光を迎え入れるためにカーテンへと手を伸ばす。
 さっと開いてみても、いつもの寝起きの目に滲みる朝の洗礼はなく、既に日が沈んだ直後のような薄暗さ。
 外ではバケツの底が抜けたような雨。騒がしさの正体はこれか。風に乗った雨粒がひっきりなしに頭の上の小窓を叩いている。この音だと二度寝は諦めるしかなさそうだ。
 「少し早いけど、起きるか」
 頭を覚醒させるための独り言。以前、健康をテーマにした某テレビ番組に出演していたどこかの大学のお偉い先生が、寝起きに口を動かすと脳が活性し気持ちよく起きられると仰られていたので、それ以来寝起きに何か独り言を言うということが人の意見に流されやすい僕の朝の習慣になった。
 いつもより早い時間にベッドから出たからか、それとも天気のせいなのか、空気が家の中とは思えないほど冷たく、白くなった息がうっすら見える。
 勉強机に備え付けの椅子の背もたれに掛けられていた紺のカーディガンを羽織り、少し早いが朝食をとるために一階のリビングに向かった。
 階段を一段下る度に大きくなる小気味よく野菜を刻む音と出汁のきいた味噌汁の匂い。これぞ日本の朝の食卓。
 「おはよ――」
 リビングへと繋がる引き戸を開けた瞬間、僕の周りのよく冷えた朝の空気が更に凍てついた。
 「どうしてお前がここにいるんだよ!」
 そこにいた人間は二人。一人は僕の母。これは僕の家、犬島家のリビングなのだから当然だ。そして問題はもう一人の方。食卓について、器用に鮭の骨を箸で取り除いている奴。僕の幼なじみの、新藤マキ。
 「コラ!女の子にむかってお前とは何だ!マキちゃん、その鮭は夕貴の分だから遠慮せずに食べていいわよ」
 「ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく」
 少しは遠慮しろ!――って、え?僕の鮭?はい、本日の朝食はご飯と味噌汁、それと梅干しの三品に決まりました。いや、これだけでも十分なのだが、欲を言えばもう一品、目の前にある程良く焼き目のついた鮭の切り身をおかずにできたなら、今日一日の僕の活動エネルギーは十二分に確保できたことだろう。
 「で、どうしてあいつがここに?」
 味噌汁を鍋からお椀に注ぎながら尋ねてみた。今日の味噌汁は大根と卵か。
 「さっきね、新聞をとりに行ったらね、すぐそこの煙草屋があるじゃない?そこの軒下に見たことあるような人がいるなと思って、マキちゃん?って声をかけてみたわけ。そしたらやっぱりマキちゃんだったの。で、折角だから朝ご飯でも食べていったら?というわけで今に至るのだ。分かったか、馬鹿息子」
 馬鹿は余計だ。というか、もし声をかけたのがマキじゃなかったらこの人はどうしてたんだろうか。息子である僕が言うのも何だが、昔から母は天然なところがある。しかもただの天然ではなく猪突猛進的な天然なのだから尚更たちが悪い。
 「何やってんの?早くしないとお味噌汁冷めちゃうよ」
 マキに促され、味噌汁の入ったお椀を持って食卓につく。
 「お前――」
 キッチンからの鋭い視線。
 「――マキはこんな天気の日に朝から何やってたんだ?」
 「特に何も。たださ、あんなことがあったじゃない?ちょっと家に居辛くて。気分転換に朝のお散歩をしてたらいきなりの雨でしょ。で、たまたまそこの煙草屋さんで雨宿りしてたらおばさんが声をかけてくれたってわけ」
 そういえばそうだった。朝早くから人の家のリビングにコイツがいるというこの有り得ない状況で頭の中が少々混濁していたこともあるが、ようやく昨日のことを思い出した。
 「そういえばおま――マキ!昨日はどうし――」
 「ストップ!昨日のことは、話せるときが来たら私から絶対にちゃんと話すから。だから、今は何も聞かないで」
 マキの真剣な顔に僕は弱い。僕が炎タイプならマキは水か地面だろう。炎に水をかければどうなるか。僕は黙るしかなかった。
 「それにしてもマキちゃん、大きくなったわよねえ。引っ越した時以来だから二年ぶりくらいかしら。すっかり大人らしくなっちゃって」
 流し台での作業を終えた母がキッチンペーパーで手を拭きながらマキの隣に座った。
 「やっぱり分かります?おばさん達が引っ越した頃より三十八ミリも伸びたんですよっ」
 やはりミリ単位だったか。というかよくそんな微妙な成長を察知できたな。息子ながら、今のは少し感心した。
 「私は身長のことを言ってるんじゃないんだけどな」
 そう言いつつ目線をマキの顔から首、鎖骨の下あたりまで下げる。
 「うちの馬鹿息子にでも成長を助けてもらった?昔から揉む子は育つってよく言うし」
 「ちょっと母さん?何言ってんだよ!」
 ほら見たことか。マキが、顔を熟したリンゴのように真っ赤にさせて俯いてしまっているじゃないか。
 「朝から堅いこと言わないの。それじゃ後は若い人同士で」
 そう言い残して新聞を片手にリビングから出ていってしまった。あれは多分、二度寝する気だ。
 「とりあえず――、食うか」
 湯気の立ち上らなくなった味噌汁とご飯を口に運ぶ。おかずがないときはいつもこうだ。味噌汁をオカズ代わりにしてご飯をかきこんでいく。
 「夕貴、これ、半分あげる」
 母が立ち去ったことで、ようやくいつもの顔色に戻りかけたマキからの申し出。差し出された皿の上には少し冷めた焼き鮭の半切れ。ご丁寧に予め骨が全てキレイに取り除かれている。
 「もともと夕貴のだったんだしさ。半分食べちゃってごめんね」
 「謝らなくていいだろ。それじゃいただきます」
 口の中に広がる程良い塩辛さ。これ一口でご飯三杯はいける。
 「そういえばさ、今日はどうするんだ?」
 「どうするって何が?」
 何がとは何だ?コイツは本気でそう言ってるのか?
 「何がって学校だよ、学校!どうするんだよ?」
 「ああ、学校か。三日間の停学だってさ。だから火曜日まで家にいないといけないんだ。あ、これ食べたら家に帰るから安心して」
 何をあっけらかんと言ってるんだ。入学して三日で停学処分なんて聞いたことがないぞ。
 「安心できるか!第一昨日のことだって――」
 「だから、それは今度話すって。朝ご飯、ごちそうさま。私、もう行くからおばさんによろしく言っておいて」
 また僕の苦手とするマキの真面目な顔。この顔を見てしまった僕にはもうどうにかすることもできないのだから、ただ押し黙るしかない。
 「それじゃあまた来週の水曜日に。あ、傘借りてくね」
 「ああ。それじゃあ気を付けて帰れよ」
 リビングからお椀を片手にマキを見送る。これを食べたら急いで準備しないと。早い時間に起きたはずが、既に普段なら家を出る時刻になりつつあった。
 残ったものを全て平らげ、風の如く朝の支度をする。どうにか、遅刻はせずに済みそうだ。
 「それじゃあいってき――」
 ――マキの野郎。例によって僕の傘を持っていくとは。傘立てに残っているのはいかにも女性が好みそうなピンクの花柄の傘が一本と黒い日傘が一本。