ローザリアン
月明かりに照らされたローザの髪は美しく、金色に輝いていた。その輝きは、あの二人を食べて生まれた輝きなんだ。ローザの体には墓場のように多くの死体が眠っている。ローザにとっては、ホームレスを食べることも、かつての両親を食べることも、同じことなんだ。今のローザにとって一番大切なものは、やはり、コリンさんなんだ。
わかっているのに、僕はどうして納得できないんだろう。
ローザが僕に、わざわざ気持ちを吐き出してくれているのに、僕はどうしてそれが受け入れられないんだろう。
「ちょっといじわるなことを言っちゃった。ごめんなさい、サイモン」
ローザが小さく笑った。
「私が黒い服を着ているのはね、お葬式だからなの」
胸元のリボンを整えながらローザが言う。黒い服が、ローザの境界を曖昧にしていた。夜の町に、ローザの姿は溶けてしまいそうだった。
「食べてしまった人たちのこと、何とも思ってないわけじゃないわ。でも、今の生活と比べたら、大事じゃない。だから私は他人を食べるの。でもあの二人はちょっと特別だったわ。だから少しだけ、ごめんなさいって思っているの。けれどね、あの二人は私のことを探していたけど、それは今の私じゃない。昔の私を探していたの。そんな二人に、私は何もしてあげることができない。それなら、食べてしまっても一緒だわ。ねぇ、サイモンは知らないだろうけれどね、私のお墓、もうあるのよ。あの二人は私が死んだことを信じたくないだけだったの。だからあの二人にとって、私は幽霊みたいなものだった。そんな私を追いかけていて、幸せだと思う? 私はそう思わなかったわ。パパは私に聞いてくれたの。あの二人をどうするのかって。だから私が、パパにお願いしたの」
「そんな……」
「公園でね、サイモンと私がお散歩をしたのも、私とパパで考えたの。あの二人はいつも夕方になると公園を探してた。きっと、死ぬ前の私はあの公園が好きだったのね。だから夕方になって、サイモンと二人で、あそこを散歩したの。私が大きな声を出したら、あの二人は私に気づいて追いかけてくる。私はサイモンとあの建物に逃げる。そしたら隠れていたパパがあの二人を」
「ちょっとまってローザ、それってつまり、全部」
「そうよ。全部最初から決まってたこと」
ローザが強い視線で僕を見た。
「サイモンが夕方まで眠っていたのも、コーヒーに薬を入れていたから。私がこっそり入れたのよ。私はずっとサイモンの部屋の前で、サイモンが起きるのを待ってたわ。早くに目が覚めてどこかに行ってしまったら、困るから。ごめんなさいサイモン。私、サイモンに言ったでしょ? サイモンに謝らなくちゃいけないことが、たくさんあるって。私はサイモンのお友達なのに、サイモンを使ってあの二人を殺したの。パパも使って。ごめんなさい、サイモン。私はずっとあなたを騙してた」
「謝るぐらいならこんなことしなければよかったじゃないか!」
僕の声が、静かな夜道に響いた。
ローザはゆるやかに首を振る。
「これは私のわがままなの」
小さな唇が、夢のように呟く。
「あの二人がいなくなって、私は本当の私になれた気がする。パパの家に来てからの、新しい私。そう考えるのっていけないことかしら」
ローザの顔を、僕はまっすぐに見返すことができない。ローザが望んでやったことなら、僕は何もいえない。けれどローザ、そうじゃないんだ。もっと他にも、いくらでも方法があったはずなんだ。こんな形で君が生きて行くことは、君にとっての幸せじゃない。
思っていても口にだせないのは、ローザが微笑んでいるからだ。
「サイモンが色んなことを考えてくれているのは、私、わかってるわ。顔に書いてある。私、サイモンとお友達になれてやっぱりよかった。サイモンは私のことを大事に思っていてくれるもの」
「ローザ……」
もう、何も言えなかった。ローザの決意は固く、そして僕と出逢う前から決められていたんだ。僕は初めから、舞台に立ってなどいなかった。僕はただ、物語を進めるための、道具だった。
諦めと悔しさ、そして後悔のような気持ちが混ざり合う。
一つだけ、僕はローザに尋ねた。
「今、本当に幸せ?」
ローザは満面の笑みで答える。
「うん!」
その笑顔には一つの曇りもなく、ローザの、一人の女の子としての世界が満たされていることにようやく気付いた。
結局僕にできることは、何もなかったんだ。
ローザを守ること、それはローザを形成する世界に手を入れることじゃない。ローザ自身が、ローザの望む姿になれる手助けをするのが、僕がローザにできることなんだ。道具なら、道具なりのやり方で。
確信は得られないままだけれど。
「そろそろ帰らなきゃ! パパが待ってるわ」
ローザは来た道へ向き直り、駆け出した。
「サイモン、本当にありがとう! 私、サイモンのことが大好きよ!」
僕も、ローザのことが好きだ。大好きだよ。
けれどそれは言わない。
「おやすみ、ローザ」
僕はローザに、笑ってみせた。
うまく笑えていると信じて。
静かに昇り始めた朝日に、街路が照らされていく。
僕には、それが舞台の幕開けに見えた。
本当の世界の、幕開けだ。
◇ ペンを手にとる日曜日
次の日、早朝。
僕は駅のホームにいた。目覚まし時計のない僕の部屋で朝を知らせたのはコリンさんからの電話だった。
もしかしてローザが帰っていないのかと焦った僕に、コリンさんは事務的に用件を告げた。
今日でこの町を出ることにした、ローザの見送りは好きにするといい、と。僕は慌てて家を飛び出した。ぼろぼろの自転車にまたがって全速力で漕ぎ、駅に着いたのがつい先ほど。
休日でこの時間となると、遠出目的の客しか駅にはいない。数も少なかった。
それぞれに大きなトランクをひいて歩いていく客を目で追いながら、軽装の僕はローザを探している。
「サイモン!」
ローザの声がした。
僕は振り返る。
白いジャケットに赤いチェックのフレアスカート。黒いタイツ、茶色いブーツ。それから白い帽子。活発さを連想させる姿に旅立ちを感じた。
「どうしてサイモンがここにいるの? もしかして、パパに聞いたの?」
「うん。今朝、電話があったんだ」
「そうだったのね! パパありがとう!」
ローザが嬉しそうに飛び跳ねながらコリンさんに抱きつく。コリンさんは納得がいかないと言いたげな顔をしながら、僕を見ていた。
「会うぐらいはいいだろう。君のためではなく、ローザのためにね」
「パパはいつでも素直じゃないのね」
ローザが頬を膨らませる。愛らしい仕草に、僕も自然と笑みがこぼれた。
「荷物、持つよ。少しでも楽なほうがいいだろ?」
「ありがとう、サイモン」
僕はローザの手にしていたボストンバッグを持つ。それは、あの二人が入っていたバッグだ。もう片方はコリンさんが持っている。ローザは空いた両手を、僕とコリンさんの片手ずつに繋いだ。ローザを挟んで、僕たちは昨日のように、同じ鞄を持って歩いている。
不思議な感覚だった。
「それにしても、引越しなんて突然ですね」
無言の空間に堪えかねて、僕は話をふった。
「突然じゃないわ、数ヶ月も前に決めていたのよ」