ローザリアン
「え? そうだったの?」
ローザの言葉をコリンさんが継いだ。
「これだけ人を殺しておいて、ここに留まる理由もないだろう」
低い声に、僕はただ黙るしかない。言われてみれば、確かにそうだった。逆に、いままでずっとこの町にいたことの方が不思議に思える。
「私が何かを思い出すかもしれないからって、パパがこの町にいてくれたの」
ね、パパ。とローザがコリンさんを見る。コリンさんは知らぬ顔でただ歩いている。
「半年で何も思い出さなかったら、ここを離れようってお話してたのよ」
「じゃあ今日が半年ってこと?」
ローザが頷いた。
つまり僕は、最後の最後でローザと出会ったというわけだ。
「私、この一週間はとっても楽しかったわ」
「僕もだよ」
「ふふっ、サイモンにそう言ってもらえると嬉しい」
「お別れは少し寂しいけどね」
一番端のホームにつくと、タイミングよく列車が滑り込んできた。いよいよ別れの時が近づいている。
僕は実感のないままに、ローザと手を離す。
「なんだか、本当にこれっきりな気がしないなぁ」
「どこかで会うかもしれないわ」
列車の下部から吹き出す風が、ローザの長い金髪を散らせている。
「ローザのこと、わかるかな?」
「じゃあサイモンが見とれちゃうぐらい、素敵なレディになっててあげる」
「楽しみだな」
「サイモンは?」
「僕? そうだなぁ」
考えるまでもなく頭に浮かんだ答えに、僕自身が少し戸惑った。口に出すことが少し恥ずかしかった。
今までのらりくらりとやってきた僕自身を、変えていかなくちゃならない。けれど自信がなかった。自分で自分の未来が予想できなかった。
でも今しかない。今を逃せばもう言えないんだ。
「僕は小説家になるよ。ローザがどこにいても、本屋に行けばすぐ見つかるぐらい有名になる」
「楽しみ! 私、難しい本も読めるようにかしこくならなくちゃ」
きっとローザのためになら、僕はどこまでも頑張れるだろう。そんな気がした。
「約束がいっぱいだね」
僕は笑った。
「その方が楽しく生きられるわ。ゲームと同じよ」
「じゃあこれは二人のゲームだ」
他の乗客がぽつりぽつりと乗り込み始める。
発車の時間が近づいてきた。
僕はコリンさんに、手を差し出した。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていない」
「僕を、生かしてくれました」
「ローザのためだ」
「もう、パパったら!」
ローザがコリンさんの手をとり、僕の手と繋ぐ。無理矢理に行われた握手はすぐに解けた。それでも僕の心は晴れやかだ。去り際の握手なんて、爽やかな展開じゃないか。
発車のアナウンスがホームに流れた。
ローザがはっとする。その瞬間、長い髪が揺れた。僕は最後の幻を見るようにそれを眺めていた。
「そろそろ行かなくちゃ」
ローザが僕から荷物を受け取り、列車に乗り込む。コリンさんも続いた。僕とローザは、列車とホームの僅かな隙間を隔てて別れ始める。
「一週間ありがとう、サイモン」
「こちらこそ」
列車のドアが音を立てる。
「さよなら!」
ドアが閉じた。
列車が動き出す。
ローザがゆっくりと離れ始めた。僕はそれを追わず、じっと眺めていた。
やがてホームから走り去った列車に、僕はゆっくりと背を向けた。
駅を出て、まっすぐ家に帰ろう。
そして僕はペンを取るんだ。
ローザと別れてから数カ月。
僕は久しぶりに、まともに使える原稿を書いた。
「本当にいいの?」
デイジーが何度も何度も僕に尋ねてくる。今日だけでもう十回は返事をしたんじゃないかと思うけど、数えていないからわからない。デイジーらしくないなんて言ったらまた怒り出すだろうから、僕は何も言わないで返事をする。
「いいんだよ。それよりその原稿は使えるの?」
「使えないことはないわよ。あなたに問題がないならね」
「だから言ってるじゃないか、僕は構わないって」
「それはそうだけど」
デイジーは渋りながら、細い指で原稿をぺらぺらとめくった。そこにはびっしりと、僕の書き込んだ字が並んでいる。
「ノンフィクションかどうかなんて、私は興味ないしどうだっていいわ。でもこれから先、この原稿があなたにとって困ったことになったら、こっちも道連れなのよ。わかってる? 出版社から出す以上、あなただけの問題じゃあなくなるのよ」
「わかってるよ。本当に困らないさ。困るような原稿、僕が出すと思う?」
「思うもなにも前例がないじゃない」
文句をいいつつ原稿をチェックしてくれているってことは、デイジーはこの原稿に好意的ってことだ。
僕は息をついて、彼女にコーヒーを差し出した。いわゆる「ご機嫌とり」ってやつだ。彼女に原稿を出すための通過儀礼になりつつある。この薄くて味気ないコーヒーだけは、珍しく彼女のお気に召す味なんだそうだ。人は見かけによらないというけど、デイジーと薄いコーヒーは本当に似合わない。
最後のページを確認したデイジーは原稿の束を閉じた。真っ白の表紙。僕はまだ、タイトルを決めていない。
「では、サイモン先生?」
デイジーが僕の顔を見て促した。
「タイトルはどのように致しましょう」
僕は少しだけ迷って、答えた。
「ローザリアン」