ローザリアン
ローザは微笑んでいた。夕日が差し込むコンクリートの床はローザのためだけに用意された舞台のようだった。ローザの金髪が美しく輝いている。
「あなたが私を守ろうとしてくれていること、わかってる。私のことをとっても大事に思ってくれているのも、全部知っているの。私はサイモンのお友達だもの。本当のお友達よ。話さなくったって、なんでもわかる二人なの。だからそんな顔をしないで。私だって、サイモンに謝らなくちゃいけないことが、きっとたくさんあるの。私達はきっと同じなのよ」
「でもローザ……僕は……僕は君を……」
「いいの、サイモン」
ローザが首をふる。
「あなたはなにも悪くないの。悪いのはきっと私」
「そんなこと!」
「ほんとよ。わかる日がくるわ。私はその日がとっても怖いけど、その日は来てしまうの」
「ローズマリー!」
次第に食い違い始める会話は、声によって打ち切られた。ローザを呼ぶ声が階下から聞こえる。あの二人だ。
このままではまずい。僕はローザの肩を押した。
「ローザ、あっちの柱に隠れるんだ!」
「でも、サイモン」
「はやく!」
強く言う僕に、ローザは視線を送って走る。柱の影に隠れたのを見た僕は、そこから少し離れた場所へ立った。
その直後、二人が階下から駆け上がってくる。
僕を見るなり、女の方が駆け寄って掴みかかってきた。
「返して!」
襟元をつかまれて僕はよろけた。
「ローズマリーを返しなさい!」
背の高い男が女の肩に手をやり、落ち着けと言った。手をはなされた僕は襟元を整える。元々アイロンなんてかけていないシャツは皺の数が少し増えた程度だった。
男が僕を睨みつける。
「君がうちのローザを連れて行くところを見たんだが」
僕の視線の先、男の背中側にある柱にローザが隠れている。顔を少しだけのぞかせて様子を見ていた。僕はできるだけ視線を合わせないように男の方を見る。視線で気づかれたら、おしまいだ。
「言いがかりはよしてください」
「ふざけないで!」
女が再び掴みかかろうとしたところを、男が止めた。首を横に振る男に女は何かを言いかけたが、口を閉じる。
「簡潔に言う。娘を返せ。ローザはどこにいる」
「さあ、どこでしょう」
「金ならいくらでも出す」
ローザがそっと柱から階段へ向かったのを見た。僕はわざとらしく首をふって、深い息をついた。
「お金が目的じゃないんです。そんな下らない要求はしません。大体、あなた達が本当にローザの両親かどうか……僕よりもあなた達の方がよっぽど怪しい」
ローザの姿が階下に消えた。あとはとにかく時間を稼げばいい。ローザを一人にさせるのは心配だけど、今僕ができるのはここでできるだけ二人を足止めすること。いや、それだけじゃだめだ。できるなら動けないようにしたほうがいい。それはつまり、そういうことだ。
気がつくと僕の体は震えていた。僕はローザのためにどこまですることができるんだろう。僕の決意は、どこまで僕を支えてくれるんだろう。
しっかりやらなくてはならない。
ミスは許されない。
「あなた達がローザの両親である証拠を見せてください。話はそれからです」
「いい加減にして。どう考えたってあなたのほうが怪しいじゃない!」
「僕はローザの言葉を信じます。あなた達はローザの両親じゃない」
僕の言葉に反論しようと口を開いていた女は、そのまま何も言わなかった。口元に当てた手が震えている。その爪に塗られたマニキュアが、僕にはとても嫌な色に見えた。
「ローザが言ったの? ローザが、私たちを親じゃないって言ったの?」
「そうですよ」
「嘘よ!」
「本当です」
「嘘……」
女は細い指で顔を覆い、泣き出した。それを見た男が僕に何かを突きつける。
銃だ。
背中に汗をかいた。
持っていない保証なんてなかった。僕もわかっていた。目の前に現れた銃口に僕は、映画を見ているような気分になった。泣き崩れる母親と守ろうとする父親。娘を攫った男。現実味のない空間だった。
「嘘をつくんじゃない」
男が僕に言う。
「ローザがそんなことを言うわけがないだろう。あれは私たちの娘だぞ」
ローザを所有物のように扱う言葉に僕は嫌悪感を覚えた。この場にローザがいなくて本当によかったと思う。こんな言葉を聞いたら、どれだけ傷つくだろうか。この二人はそれをわかっていない。仮に二人がローザの両親だったとしても、この人達の所へローザを返す気になんてとてもなれなかった。
「居場所を教えないなら、今ここでお前を撃つ」
「あなた!」
「待っていられない、俺がなんとかする」
「でも……」
「いいんだ、お前は少し黙ってろ」
男の視線が女に向けられた。
今しかない。
僕は銃を奪おうとする。
一歩踏み出した。
その時、後ろから足音が聞こえた。
突然体中に衝撃が走る。僕は体を支えきれず倒れ込んだ。続いて二回、何かよくわからない音が聞こえた。発射音だろうか。
目の前にいたはずの二人が倒れた。頭から血を流していた。
ああ、きっとこの二人は、死んだに違いない。
回らない頭の中でそれだけは浮かび上がった。
何がどうなっているのかわからず、とりあえず体を起こそうとした。体に痺れのようなものが走る。身動きがとれなかった。
誰かに肩を担がれて体が起こされる。ちらちらと見える袖口と足元に見覚えがあった。
「コリンさん……?」
返事はない。僕は担がれたまま建物の外に出された。
ローザはどこまで逃げたんだろう。それに、どうしてコリンさんがこんなところにいるのだろう。何より、あの二人を殺したのは……。
車の後部座席に押し込められる。鍵をかけられたため、出られない。車の窓からさっき上った階段が見えた。そこへ誰かが上がっていく後姿が見える。着ているコートに覚えがあった。数日前に見たものだ。
忘れていない。あれはコリンさんだ。
体にまだ力が入らない。さっきの衝撃はおそらく、スタンガンだろう。死ななくてよかったと思う反面、これから先のことを考えると恐ろしかった。僕はこれから殺されるのかもしれない。コリンさんは初めから、そう、あの数日前から、僕を殺すつもりで近づいてきたのだろうか。ローザにつきまとう不審者と思われても、僕は否定できない。
ふいに、車体が揺れた。続いて運転席にコリンさんが乗り込む。知らぬ間に戻ってきていたらしい。
コリンさんは後部座席の僕を一瞥して、すぐに向き直った。エンジンがかかる。
車が走り出した。
人気のない場所へ連れて行かれるのかと思っていたけれど、車は僕の予想に反して大通りに出た。よくよく考えなくても、僕を殺すつもりならさっきの場所で済ませればよかったんだ。コリンさんの考えが分からない。
僕自身も見慣れた景色が窓からよく見える。夕方から夜にかけて、大通りは混みあっていた。
「君は娘に好意を持っているようだが」
それまで無言だったコリンさんが話し始めた。窓の外は次第に暗くなり、オレンジの夕日は姿を消していた。対向車線のライトがまぶしい。
「やめておいた方がいい」
僕が問いかける前に、コリンさんが再び言った。
「あれは人間ではない」