トロイメライ
「いや、なんかさ、こないだ実家に電話したら、母さんが門馬の学校の先生の話ばっかしてきたんだよ。河内っていう先生らしいんだけど」
「ふうん?」
「でさ、その河内先生にもお土産買って来いって。いくら門馬によくしてくれるからって、わざわざ土産物なんて、ちょっと大げさじゃないか?ただの担任の先生だろ。まあ、買ったは買ったけど・・・」
彗太は持ってきた紙袋に目をやった。一番下には、例のたこ焼煎餅が入っている。
「河内先生って、男の先生なの?」千が尋ねた。
「へ?何で?」
「だって、女の先生かもしれないだろ」
「あ…そっか」
「ほら、だったら彗太もそんなにやきもち焼かないんじゃない?」
「べ、別にやきもちとかじゃねーし」
彗太はそう言ったが、文野の話しぶりから、河内を男だと思い込んでいたのは事実だった。確かに、もし明らかに女性とわかるような名前で文野が河内を呼んでいたなら、彗太もこんなふうには思わなかったかもしれない。
「彗太好みの、若くてきれいな女の先生だったらいいのにね」
「何だよそれ」
「こないだ佐野先輩がそう言ってたよ。彗太は女教師が好きだって」
「っな・・・」彗太は口にしたスープを吹き出しそうになった。
「部屋に入ったときに色々見つけたって先輩言ってたけど、どういう意味?」
「気にするな」
恥ずかしくて、彗太はしばらく面を上げられなかった。千はわかっているのかいないのか、それ以上は聞かなかった。大阪に戻ってきたら、まず泉に一言言わなければならない。
食事の後、会計を済ませてから店を出た後も、バスが来るまでにはまだしばらく時間があった。ふたりはとりあえず一階のバスターミナルに移動した。
「ここで待ってればいいか」
千は待合室のベンチを指した。他にもバスが来るのを待っている乗客らが、本を読んだり携帯電話をいじったり、思い思いにそこで待ち時間を過ごしている。
「なあ、千」
「ん?」
「俺、ちょっと買い忘れたものがあるんだけど。ここで荷物見張っててくれるか」
「うん、いいよ」
彗太は大きな荷物はそこに置いて、いったんバスターミナルを出た。買い忘れた、というと半分嘘になるが、先ほど三番街の飲食店街から移動してくるさいに前を通った喫茶店で、少し気になるものがあったのだ。
買い物を済ませてバスターミナルに戻ると、千はベンチの上で彗太の荷物に寄りかかって、うつらうつらしていた。
「あー・・・、千?起きてるか?」
「・・・あっ、ごめんちょっと寝てた・・・。早かったね。何買ったの?」
千は身体を起こすと、彗太が手に持った小さな紙袋を見た。
「ほら、誕生日、おめでとう」
「え?」
寝起きということもあって、彼は、彗太がケーキの入った袋を差し出しても、それを前にきょとんとするばかりだった。
「食べたばっか、ていうかそもそも一ヶ月過ぎてるけど、とりあえずケーキ」
「ケーキ?何で?誰に?」
「お前じゃなかったら、誰にやるんだよ。先月誕生日だったんだろ」
千がいつまでたっても受け取ろうとしないので、彗太は袋を千の膝の上に置いて、自分も彼の隣に座った。
「・・・」
千が何も言わないため、彗太は少々不安になった。よかれと思ってやったことだが、下手に気を遣わせてしまったかもしれない。
「あー、その・・・」
「あっ、ごめん、ちょっとびっくりして」
千は言った。
「俺、つる以外の人から誕生日プレゼント、ていうかプレゼント自体もらうのなんてはじめてだったから、何て言ったらいいかわからなくて・・・ええと、ありがとう彗太」
彼は珍しく興奮した様子でそう言うと、驚きと歓喜の入り混じった顔で「開けてもいい?」と彗太に尋ねた。
「そんな、ただのショートケーキだって。保冷剤入ってるから、家に帰ってから開けたほうがいいと思うぞ」
彗太が照れ隠しにそう言うと、千は「じゃあそうする」とケーキの入った箱を大事そうに抱えた。彗太は正直、こんなに喜ばれるとは思っていなかった。
ふたりが長崎行きのバスを待っている間にも、次々と他の方面へのバスがターミナルに到着していた。盆休みということもあって帰省客が多いのだろう、小さな子どもから大人まで、待合室の中は大勢の大きな荷物を持った人で埋め尽くされ、故郷を前にそわそわした空気に包まれていた。それぞれ向かう場所は異なるのに、彗太はなぜかとても懐かしい気持ちになった。こういう感情は、空間を媒体に伝播するのかもしれない。
「ごめんな、彗太」
「ん、何だよ突然、やぶからぼうに」
眠いせいか、少し言葉少なになっていた千が言った。
「俺、ちょっと彗太のこと勘違いしてた」
「勘違い?」
「うん。自分で信じろって言っておいて何なんだけど、最初、彗太は俺のこと『千鶴』としてしか見てないと思ってたんだ。だから色々親切にしてくれるんだ、って。それに俺も、何だかつるとのバランスを崩された気がして・・・とにかく、彗太のことちょっと恨めしかったんだけど、でも」
千は続けた。
「でも、彗太は俺のこと本当に『千』として見てくれてるんだね。ありがとう」
「千・・・」
彗太は、自惚れてるかな、と笑う千の横顔を見つめた。その見た目はどこからどう見ても女だ。彼に突然「自分は男だ」と告げられたときは、彗太も、いったい何馬鹿なことを言っているのだと思ったが、いつしかそういうこともあるのだと考えるようになっていた。真面目でおとなしく、少し神経質だが根は優しい彼を、彗太はいつの間にか友達のように思っていた。
「それと、色々協力してもらったのに、何か・・・ごめん、俺のままで」
「何言ってんだよ」
そうこうしているうちに、長崎行きのバスが到着した。
『二十一時発、大阪梅田発・長崎行き、ロマン長崎号にご乗車のお客様は――』
放送が掛かると、周りにいた数名が待っていましたとばかりに各々の荷物を持って動き出した。彼らも長崎に行くのだろう。
「バス、来たよ」
千は少し悲しそうな表情をして、彗太の手荷物を持ち立ち上がった。ぞろぞろと待合室を出て行く乗客らのあとについて、彗太と千も外に出た。もう夜の九時だというのに、外は蒸し暑い。
「じゃあ、元気でね。おばさんと門馬くんによろしく」
「お前もな。それと、もし俺のいない間につるに戻ったらメールしろよ」
「俺が?つるになったら、俺はメールできないんだけど・・・」
「あっ、そうか」
「まあとにかく、そうしたらつるにメールするように言っておくよ」
「大丈夫か?」
「うん。適当にごまかして説明しておく」
千の顔に少し笑顔が戻った。困惑するつるを想像しておかしかったのだろう。
「じゃあな」
彗太はもう一度振り返った。千はケーキの紙袋を持っていないほうの手で手を振った。梅田から乗る乗客がすべて揃ったので、バスは定刻よりも少し早く出発した。彗太は窓から外の景色を振り返った。高層ビル、観覧車の赤、電車の線路の明かりが背後に遠ざかっていく。彼は目を閉じた。翌朝には長崎に着く。