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トロイメライ

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 「え?でも鶴子も普通だったぞ」
 彗太は十年前の記憶を引っ張り出した。あまり口数の多い子ではなかったが、大和らが話すようなこてこての関西弁ではなかったと思う。
 「じゃあ、気を遣ってたんじゃないかな。知らないところで、ひとりで、人の家に預けられてたわけだし」
 「そう・・・だったのか?」
 千の言葉に、彗太は内心少しショックを受けた。あの頃千鶴は自分にも、本当は打ち解けていなかったのだろうか。それが顔に表れていたのか、千はすぐに「俺がそう思うだけだから」と付け足した。
 「あれ?でもお前、今、商店街の近くのマンションで一人暮らししてるよな。実家は?」
 「小六の春に母さんと埼玉に引っ越したんだ。ていうか彗太、なんで俺の家知ってるの?教えたっけ?」
 「え、あ、うん」
 まずい、と彗太は思った。相手が千とはいえ、授業が終わって帰宅するつるのあとをこっそりつけて行ったとはさすがに言えない。千は、そうだっけ、と首をかしげていた。
 「まあいいや…あ、かき氷だ。買ってきていい?」
 「う、うん。俺も行く」
 大きく『氷』と書かれた暖簾をかかげた屋台には、涼を求めた祭りの見物客らが長い列をなしていた。彗太と千もそれに並んで、たがいにひとつずつかき氷を注文した。夜の七時過ぎとはいえ、店員から受け取った時点で、発泡スチロールのカップに入った氷はすでに溶けはじめていた。彗太は、ストローの先を切って作ったスプーンで、シロップのかかった氷の山を崩しながら、隣の千の手元に目をやった。
 「かき氷でみぞれ頼むやつって、ちょっと珍しいよな」
 真っ白い氷を食べている千を見て、彗太は笑った。「なんか、氷だけ食ってるように見える」
 からかわれて少しむっとしたのか、千は反撃に出た。
 「彗太こそ。俺、ブルーハワイ注文する人なんてはじめて見た。おいしいの?それ」
 「俺はいつもこれだけど。食ってみるか?」
 彗太は真っ青に染まった氷の塊を千の前に突き出した。彼は明らかに躊躇していたが、少しだけ、と言って自分のスプーンでそれをすくった。
 「あれ、お前左利きなんだな」
 「そうだよ」
 そういわれてみれば、腕時計も右の手首に巻いている。千鶴はどうだったろうかと思い記憶をたどると、向かい合わせに座って一緒に勉強していた彼女も確か、彗太の側から見て右、つまり左手に鉛筆を握っていた。つるのことも考えたが、利き手について思い出せるほど、彗太は彼女のことをよく知らなかった。
 「どうだ?」
 彗太は氷を口の中に運んだ千に尋ねた。
 「・・・これ、色もあれだけど、味もあんまりおいしくないんだね・・・」
 どうやら彼の口には合わなかったらしく、もうさっそく自分のみぞれ氷に手を付けている。
 「えっ、でも、うちの家族は全員、かき氷にはブルーハワイかけるけど」
 守も文野もまだ小さい門馬もみんな、縁日では必ずブルーハワイのかき氷を頼むし、夏に自宅の冷蔵庫に入っているのもこの青いシロップである。彗太がそう告げると、千はそれを想像してみておかしかったのか、珍しく声をたてて笑った。
 「何だよ、笑うところかぁ?」
 「だって、家族みんなでおいしそうに、この青いかき氷食べてるって考えると。ところで、おじさんたちは元気?」
 千は何気なくそう訊いた。突然、スプーンを持つ彗太の手が止まった。
 「彗太・・・どうしたの?」
 察しがいいのか、千は彼の様子がおかしいことに気づくと、すぐさま心配そうな表情で彗太の顔を覗き込んだ。自分が心配されているとわかって、彗太はあえて明るく振舞った。
 「母さんはあいかわらず。時々うちに電話してきて、家のこととか仕事のこととか、ぐちぐち言ってる。弟は・・・そうか、まだ知らないよな。俺が中二のときに生まれて、門馬っていうんだけど、こいつもまあ元気」
 それから彼は、声が揺れないように、喉の奥から絞りだすような気持ちで言った。
 「父さんは、中三の春に死んだ」
 死んだ、という言葉は、心配するまでもなくあっさりと口から出てきた。あまりにも簡単で、自分でもおかしいぐらい早口になってしまった。こうやって口にすることで、まるで自分が父親を殺したように感じた。
 「そう・・・なんだ」
 千はうつむいた。少しの間、沈黙が流れた。
 「ごめん、ちょっと、ここ人が多くて食べづらいから、あっちに移動してもいいかな」
 千は人気のない河原を目で示した。
 「ああ、うん」
 彗太がそう答える前に、もう千はひとりでそちらに向かっていた。彗太はあわててそのあとを追った。
 賑やかな縁日とは対照的に、砂利の敷き詰められた河原の上は静かだった。市街地を貫流する川なので、その川岸もあまりきれいではないのだが、ずっと向こうの対岸ではバーベキューをする人びとの姿が見えた。
 「少し疲れたか?」
 彗太は横から千の顔をのぞき見た。空には月も星もなく、川面には街の明かりばかりが映っている。千は泣いていた。
 「・・・え!?お、おい」
 「心配しないで、これは俺じゃない」
 声の調子はいつものままで、千は軽く鼻をすすった。
 「俺はおじさんには会ったことないから。今泣いてるのはつるか、そうじゃなかったら千鶴だ」
 暗い川を見つめながら、彼はほおを伝う涙を拭おうとはしなかった。
 「つるが、おじさんのことよく話してたよ。優しいひとだって」
 そう言うと、千はようやく腕で涙を拭った。それから、手に持ったかき氷のカップを、狼狽して何もできないでいた彗太の前に差し出した。
 「彗太も食べていいよ」
 「え、っていうかお前、大丈夫か」
 「食べていいよ。はい」
 千はもう一度そう言うと、今度は有無を言わさず、彗太の口の前に自分のスプーンを突き出した。仕方がないので、彗太は素直に従って口を開いた。もし人目のあるところだったら、こんなことは絶対にしないだろう。白いみぞれは、思っていたよりとても甘かった。
 「もう少しだけ、つるに泣かせてあげてもいい?」
 千がそう訊くので、ああ、と彗太はうなずいた。千は声を殺して泣いていた。彗太はこのときはじめて、『彼ら』の本心を垣間見た気がした。
作品名:トロイメライ 作家名:zanpang