トロイメライ
「・・・」千鶴は傘の柄に書かれた四文字を見つめて、しばらく考え込んでから、彗太の顔を見て言った。「摂ちゃん・・・?」
そう呼ばれて、急に懐かしさがこみ上げてきた。十年、と彗太は思った。あれからなんと長い月日が経ったのだろう。
「えっと、久しぶり、鶴子」彗太は少し照れながら言った。「実は、最初図書館で会った時から俺は気づいてたんだけど、なんか言い出しづらくてさ。でもまさか同じ大学に通ってるとは思わないよな。しかも大阪で。すごい偶然っていうか・・・ともかく、元気にしてたか?」
照れくささで、彗太は妙に饒舌になった。昔と変わらない千鶴を前に、彗太は十年前に戻ったような気がして、とにかく嬉しかった。
「・・・鶴子?」
ぺらぺらと喋る彗太に対し、千鶴は一切無言で彼を見つめていた。その顔は先程までとはうって変わって、不安と怒りが入り混じったような、なんともいえない表情をしていた。
「どうかしたのか?」
彗太が千鶴の持っている傘と自分の持っている傘を取り替えようとすると、彼女はとっさに彼の手を払いのけた。
「来ないで」その目には、十年前はじめて会った時と同じ、何かに怯えた光が宿っていた。「私、あなたのことなんか知らない。もう私に話しかけないで」
そう言うと、千鶴は傘を放り出して、濡れるのも構わず雨の中に走っていった。
彗太は雨の中、千鶴の走り去ったほうを見つめたまま、コンビニの前でひとり呆然と立ち尽くしていた。
十年前の夏、ふたりが別れたのも、こんな冷たい雨の日だった。