トロイメライ
「ったく。ドアぐらい自分で開けりゃいいのに」文句を言いながらも、彗太は立ち上がってドアに向かった。
「ありがとう、いやぁ、手がふさがっちゃって。おじゃましまーす」部屋を開けてやると、片手にグラスを乗せたトレイ、もう一方にスケッチブックを持った父が中に入ってきた。
「ジュースつくってみたんだけど、ふたりとも飲むかい?」
「ていうか何のジュースだよ、それ」彗太はトレイごと机の上に置かれた、黄色い不透明な液体を指して言った。
「何だと思う?」
「何って、俺には砕いたプリンにしか見えねーんだけど」
ピンポーン、と守は得意げに言った。彗太はため息をついた。
「でも私、こういうの自販機で買って飲んだことあるよ」
「えっ、ちゃんと売ってるんだ」
その時のものが気に入っていたのか、千鶴はまったく抵抗なくグラスのひとつを手に取り、一口飲んで、おいしい、と微笑んだ。
「ただのプリンだろ」そう言いつつ、彗太もグラスを取って口をつけた。ミキサーでも使ったのか、滑らかな口当たりに仕上げられているが、見た目の上でもあまり喉を潤す効果はなかった。プリンはプリンである。しかし、それを嬉しそうに飲んでいる千鶴を見ていると、細かいことはどうでもよく思えた。
「さて、と」グラスが空になると、守は持ってきたスケッチブックと鉛筆を手に取り、彗太に許可なく勝手に彼のベッドの上に座った。
「って、おい」
「あ、ふたりとも気にしないで。そのまま勉強続けてくれていいから」
彗太の抵抗を尻目に、守は膝の上にスケッチブックを広げた。突然絵のモデルになってしまったふたりははたがいに目を合わせると、なんだかおかしくて笑いがこみあげてきた。まったくマイペースだと思いながら、いつものことだと、彗太もふたたび鉛筆を手に取って机に向かった。守はレコードを掛けっぱなしにしてきたのか、一階からは相変わらずあの唄が聞こえていた。
いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に
彗太にとって、父が家で絵を描いていることは日常だった。家に帰ればいつも父がいて、学校から帰ってきた彗太をいつも笑って迎えてくれた。絵の具のにおいも、海風でスケッチブックが捲れる音も、彼の生活の一部だった。
明日の月日は ないものを
そこにいつか終わりがくるなどとは、考えもしなかった。