水底
部屋に入ると人魚が居た。
長いひげや尾びれをゆらめかせ、部屋の隅を漂っていた魚はすっかり居なくなっていた。
人魚の上半身は人間そのもので、腰から下は青緑色の鱗に覆われ、ところどころ苔むしており、半透明の長い尾びれをゆらめかせていた。
つややかな黒髪は腰よりも長く、血の退いた、青白い肌をしている。黒目がちでおおきな瞳は深い藍色をたたえていた。唇は薄く、妖しいほどに赤い色をしている。
人魚は部屋の中心に据えられた机の前に座っていた。丸い机の上にはさまざまな料理が 並べられている。
「おかえりなさい、しな子ちゃん。」
琴のような声で言った。
「しな子ちゃん今日は早かったのね。ごはん、できてるわよ。」
そんなことを言う。
部屋へ入り、机の上に並べられた料理の数々を確認した。
ちくわととうふの入った味噌汁、ほうれんそうのおひたし、にんじんのきんぴら、えびの入った名もない中華味の料理、すべて魚に食べさせたものばかりだった。
皿もなにも、同じものを使っている。唯一異なる点といえば、ちくわの薄切りを並べていた皿の上に、なにか判別のつかない白身魚の刺身が広げられているという点だった。