しっぽ物語 4.蛙になった王子
「休職することは出来ませんかね。あるいは、もう少し勤務時間を減らすとか」
医者はカルテに書き込みを続けている。よくもここまで無愛想になれると呆れるほど抑揚の無い声は、カジノにやってくる日本人観光客の英語の喋り方と酷似していた。
「それはちょっと」
最近、高給のクラップ・ディーラーに配置換えとなったばかりなのに、ナンセンスとしか言いようがなかったが、いちいち経緯を語っても長くなるだけなので、軽く首を振るだけにとどめた。ハイスクールを卒業してからディーラーの専門学校に通いもう20年。リノのペッパーミル・ホテルで働いていたこともある。あのペッパーミルで。あのころのチップなら。煤けた蛍光灯の下に晒された頭頂部に横目を送る。同じカリビアン・スタッドのスペースにいる仲間と分け合ったにしても、あんたの日給以上は十分稼いでただろうさ。
そう、あれだけ稼いでいたのだから、慎みをもって、置かれた境遇に感謝しておくべきだったのだ。仕事あけに飲み歩く金くらいは十分あった頃が懐かしい。フロアマネージャーにいかさまの加担がバレそうになり、逃げるようにネバダから離れ、アトランティックシティに流れ込んでまだ2年と少ししか経っていないと言うのに、Dはもう、西海岸風の派手なスーツを、4着ほど質屋へ流していた。
再び向いてきた運を腰痛で不意にするなど、経済とプライド、どちらの観点から考えても、決して許されるものではない。
「出来たら飲み薬が良いんですけどね。湿布だと、匂うから」
「最近の消炎鎮痛剤は、昔のものに比べて大分ましになりましたよ」
「それでもやっぱり、接客業なんで」
「経口の鎮痛剤は乱用する人が多いので、極力出さないのがモットーなんです」
「まさか、そんな。そこらのジャンキーじゃあるまいし」
声まで上げて笑ってみせたにも関わらず、広い額の下にあるかなつぼ眼は、相変わらずむっつりと手元ばかりを見ている。
「他に方法、ありませんかね」
問いかけても、反応は返ってこない。医師が狭いカルテのスペース一杯の細かい書き込みを続ける間、Dは丸い診断用の椅子にまたがり、緩慢な痛みを訴える腰を摩り続けなければならなかった。立って歩いたほうが楽なのはわかっていたが、眼の前の白衣に包まれた痩せぎすの肩は、不思議な威圧感を以って、Dの動きを制し続けていた。
作品名:しっぽ物語 4.蛙になった王子 作家名:セールス・マン