夢想家の夢
「テメェら、それ以上喧しくするなら、俺の自慢の鉛弾ぶち込んでミンチにした後明日の献立に加えるぞ!?」
檄を飛ばす。気を抜いたら即お陀仏という状況で、よくここまで騒げるものだ。
すぐそばで跳弾が爆ぜ、頬を掠めていった。
アドレナリンに満たされた頭が、それを痛みより熱として伝えてくる。それを気にする余裕もなく、ただ引き金を引き続けた。
太陽も見えないこの空模様では、もうこうして、どれだけ過ぎているかもわからない。あと、どれだけ続くのかも。
悲鳴が聞こえた。あれは隣の塹壕か。すぐに衛生兵が介抱に向かう。
気づくと、隣の塹壕だけではなかった。相川の隣で戦っていたはずの兵士はいつの間にか居なくなっていて、少し離れたところに居る奴は、血に濡れて動かない。
改めて、ここは戦場だと思い知る。体の震えが止まらず、だが決してそれは寒さのせいではない。
脳裏に、妻と、息子の顔が浮かんだ。優しい妻の笑顔。楽しそうな息子の笑顔。
「すまない……」
相川は、誰にともなく謝った。それは、二度と会えない家族へのものだったか。志半ばで朽ち果てる、己に対するものだったか。それとも。
「なーにしけたツラしてんだ相川ァ!!」
「北沢……」
「ビビってブルっちまったのかぁ!? 生憎支給物資の中にオムツはねーんだ、体も心もクソッタレなら死んじまえ、クセーのは真っ平だからな!!」
「な、なんだとこの野郎!」
「テメェは! テメェの夢は!! こんな染みったれた空なんかで満足してイッちまうような、くだらねぇモンだったのかよ!!」
叫んで、北沢は空に一発銃弾を打ち込んだ。その銃口の先に広がる、分厚い雨雲。
口元が歪んだ。そうだ、俺は何を恐れている? あの雨雲の向こうには、あの絵のような青空が広がってるに決まっている。
「弾の無駄遣いするんじゃない、バカタレ! それになぁ、女相手に当って砕けるどころか、爆薬仕込んで玉砕してるようなお前の夢なんかより、よっぽど現実的だ!」
「それとコレとは関係ねーだろうが三十路手前のオッサンが! テメェの自慢の奥さん見せてもらう約束も忘れんじゃねーぞ!!」
「見せるのは息子だっただろうが!」
「この際両方俺が貰う!!」
「そんときゃお前のハーレム俺が貰ってやる!!」
敵兵に向き合う。面白いほど反動を伝えてくる銃を押さえつける。
跳弾がまた頬を掠めた。体に震えが走る。
だが、もう恐怖はない。
遠くで爆音が上がった。潜入部隊が進撃を始めたのだろう。終わりが近い。
弾薬はあと3カートレッジ弱しかない。果たして、それまで持つだろうか。
そして、まるで一瞬のような、永劫の時間が過ぎて―――
「この施設は占拠した! 直ちに抵抗を止め、速やかに投降せよ!! 繰り返す、速やかに投降せよ!!」
その声が戦場に響き渡った。
静寂。そして溜息。恐らく、両軍から。安堵と諦観と、それ以外がない交ぜになったようなそれが、
歓声の絶叫に変わる。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
相川もいつの間にか、声が枯れるほどの大声を張り上げていた。
戦争が終わった。長い、長い戦争が。
終わらしたのは、誰でもない我が部隊で、自分達で、自分自身だ。
体の中に熱い何かが湧き上がる。立ち上がって拳を挙げようとしたが、思ったより体が疲れていたようで、腰が砕けて立てなかった。
「いやっほおおおお! どうだテメェら!! 俺達の勝ちだぜ、チクショウ!!」
それとは対照的に、北沢は両手を振り上げ、飛び跳ねていた。全く、良くそんな元気が残っていたものだ。
周りを見回してみる。同じように、体全体で喜びを表す者。ただただ、安堵の声を上げる者。美沢は、涙まで流している。
銃を抱え、静かに涙を流す者。眠るように体を横たえる者。皆、その顔は笑みに歪んでいる。
そして、こちらに向かい、銃口を向ける、者。
「北沢、伏せろ!!」
動かないはずの体が跳ね上がった。一足で北沢の元へ行き、二足目で北沢に覆いかぶさる。
相手が、こちらを睨む。指が引き金を引き、銃口から弾が飛び出す。
死の間際は全てが遅く見えるとどこかで聞いた。どうやら本当だったらしい。惜しむらくは、自分の体も鈍重なことだ。
弾が体にめり込む。鈍痛が全体に広がっていく。この軌道なら、北沢には当らないだろう。不幸中の幸いとはよく言ったものだ。
体から力が抜けていく。やがて、地面が近づいて……
「ってぇな、何すんだよあいか……わ……?」
うつ伏せに倒れた相川の体からは、とめどなく血が流れ出ていた。
「北沢……無事、か」
「は、はは? お、おい。何ふざけてんだよ、いくら嬉しいからってよぉ」
「怪我は……ないよう、だな……良かった……」
「じょ、冗談じゃねえぞ? 嘘だろ? おい、相川?」
「ったく、お前は……いつも、注意がッ……足りないんだよ……ッさいご、で、爪が甘いん、だ」
「ふ、ふざけんな! オイ衛生兵!! 衛生兵はいねぇのか!! トロトロしてんじゃねぇ、相川が、相川が……っ!!」
「いいんだ……自分の、体のこ、とぐらい、分かる……」
咳き込むたびに、口から血がこぼれていく。体が冷たくなっていく。雨が、体温を奪う。
「待てよ、待てよ相川! 死ぬんじゃねえぞ、約束、忘れたなんて言わせねぇぞ!?」
「最後に……頼みがあるんだよ、なぁ、北、沢……」
「喋るんじゃねぇ!! 最後とか言うな!!」
「……おれ、の……ッ息子の、事を……たの、む。夢、叶えて……やって、くれ……」
そうすれば、もう未練はない。視界が暗くなっていく。声が遠くなっていく。誰の声かも、もう分からない。
妻よ、俺は頑張れただろうか。息子は許してくれるだろうか。夢は。空。はね。
気づくと。相川は、空を飛んでいた。
どこまでも続く空。360度全てが囲まれた自由な空に、相川はいる。背中に生えた翼は力強く羽ばたいていて、どこまでも飛んでいけるようだ。
太陽が眩しい。その先へ向かって、今一度強く羽ばたいた。この羽があれば、きっとどこだって飛んでいける。
光が近づいてくる。光へ近づいていく。光に体が包まれて、羽ばたきは止まずに、その光の先へ。そして視界が光に塗りつぶされて―――
「おれ、の、ゆめ、は、かなった、から、さ」
「あい、かわ? おい、相川。相川。なぁ、返事しろっての。目ぇ、覚ませよ。相川……、相川? 相川ぁぁぁあああああああああ!!」
雨が降り続いていた。叫びすら洗い流してしまうほどに。
雨が、降り続いていた。
あれから、もう三十年が経つ。
その後様々な戦争に勝利した我々は、某国に非核所有権、及び戦争の放棄を認めさせ、ついにWW3と呼ばれた戦争に終止符を打った。
私も今やすっかり年老いて、昔の姿などは見る影もない。
妻は三年前に他界した。戦場で見つけたにしちゃ、器量のいい妻だった。
そして、今日。私達の息子が、英国へと旅立つ。