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夢と現(うつつ)

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「わしは強姦ばかりしておった。死ぬかもしれないという恐怖をごまかすためにな。民家に飛び込んでは母親や娘、ところかまわず襲いかかった。泣いて許しを請(こ)う女性も多くいたがかまわずにやってしまった。今になって思うとひどいことをしたもんだ。日本を逆の立場に置いて考えることなど無かった」
「いつまで満州には居たのですか?」
「八ヶ月間くらいじゃった。わしは病気になって送り返された。精神病だよ」
「それはどういうことですか?」
「戦場とは特異な環境にある。殺し合いをする現実はひとの感情を狂わせてしまう。だれしもが狂人になる可能性がそこにはあった。
 寒いところじゃった。冬には日中でも氷点下だ。例によってわしは強姦に出かけた。いつもは仲間と連れ立って行くのだがその日はひとりじゃった。貧しい農家に飛び込んだ。
 そこにはひとりの老婆と若夫婦が住んでおった。ふたりの女の子もいた。姉と妹は怯(おび)えて母親にしがみつき母親はかばうように子供を抱きしめた。
 父親が立ちはだかり手向おうとした。わしは銃剣で父親の頭を殴った。父親は吹っ飛んで額が割れた。妻が夫に寄り添い出血を止めようと手ぬぐいを当てた。
 その時、小さな姉がそれこそ小さな掌(てのひら)に粟(あわ)だけでできたおにぎりを差し出した。精一杯の引きつった笑顔を作ってわしに近寄って来たんじゃ。かわいいと思った。震える手からおにぎりを受け取りわしは思い切り抱きしめてやった。涙が溢れた。
 わしは中国語は分からんがあの国は漢字で筆談ができる。それで分かったのだが老婆は子供たちのひぃ婆さんで祖父と祖母は農作業中に戦闘に巻き込まれ日本軍に撃ち殺されたという。ふたりの娘は四歳と二歳だった。
 わしは暴力を詫びて持っていた軟膏で父親の治療をした。粗末な食事を若い母親が準備してくれた。横でふたりの娘がじっと食事を眺めている。貧しいんだろう。満足に食っていないんだろう。わしはふたりをひざに乗せて食べさてやった。名も知らぬ野菜の煮付けとだんご汁だけの膳じゃった。ふたりはわしに礼を言ってくれた。ふたりとも力いっぱい抱きしめてやった」
 田中老人の目からは涙がこぼれている。
「わしはその日から強姦はやめた。そして非番のときには彼らの家を訪ねるようになった。
 隊で調達した米や塩、干し肉や魚の干物、缶詰など持っていった。飯を作ってやり一家に食べさせた。ひもじかったんだろうかふたりの娘はそれはみごとに食ってくれる。
 姉はお礼に歌を歌って聞かせてくれた。横で妹が遊戯のような真似をして空腹を満たしてくれた喜びを表現した。
 この子たちが腹いっぱい食える時代がこの国にはやって来るのだろうか?戦争をしている自分がとてもつまらない存在に思えた。
 当時、戦争を否定するような言動は許されない。敵前逃亡とみなされ軍隊では銃殺にされてしまう。隊へもどるとおくびにも出せない。また中国人家族に食料を与えていることがばれるとこれもひどい目に逢う。長時間いることはできない。『帰る』と言うとふたりの娘が涙して引き止めてくれる。
 わしは上官の目を盗んで三度ほど訪問した。
 そんな時、銃撃戦があった。わしらは敵を追い掛けては撃ちあった。気が付くとあの一家が近い。その方向からも銃声が聞こえる。心配だ。自然と一家の方向へ進んで行った。近づいたとき一家の家からは煙が出ている。
 わしは扉を蹴飛ばして中に飛び込んだ。一家全員が倒れている。皆死んでいるようだった。そのとき小さな手が動いた。姉だ。抱き上げると目を開けた。顔をしかめて何かを訴えるように話しかけてきた。言葉が分からない。腹部から出血している。
 『どうしたんだ?痛いのか?』日本語でしゃべっても通じないことは分かっていたがしゃべらずにはおられなかった。祖母も両親も妹も息絶えている。わしは持っていた銃を捨てて姉を抱きかかえて走った。
 『死ぬな。死ぬなよ』と叫びながら隊へ向かった。途中の川で水を与えた。喉が嚥下(えんげ)しているのが分かった。生きている。
 姉は目を開けて、粟のおにぎりを差し出したあの小さな手でわしの頬を撫でた。礼を言っているのか。わしは力の限り駆けた。隊に着いた。
『軍医殿、この子を助けてください』と叫んだ。
 脈を診た軍医は首を横に振りながら『この子は死んでいる』と言った。
『そんなはずは無い。さっき水を飲んだんだ』わしは姉の体を揺さぶりながら『起きろおきろ』と叫んだ。両腕がだらりと垂れて身動きしない。死んでいる。
 姉を抱きしめてあたりかまわずわしは泣いた。
『田中二等兵、立て』と上官に首筋をつかまれた。その直後に頬に一発食らわされた。わしは床に叩き付けられたが姉は離さなかった。
 この事件からわしは戦意どころか食欲も無くなり気が狂ったんじゃよ』
 やや長い沈黙があった。
「わしは日本へ送り返され陸軍病院へ入れられた。精神状態が回復したころ軍法会議に掛けられた。前線で銃を捨てたことが軍規に触れたらしい。釈放されるまでに一年くらいかかったかな。やがて終戦を迎えた。わしは悪いことをしたよ。戦争したことはわしの意思ではない。しかし強姦はいかん。今でもわしは悔いている」
「もうやめましょう田中さん。とても表情が辛そうです」
「あの子を助けてやれなかったのにわしはまだ生きとる。間も無くお迎えが来るのだろうが、それまで皆さんが優しくしてくれる。人をひととも思わず異国で強姦をやりまくったわしのような者でも、ここでは人権を認めてくれている。ありがたいことじゃ。
 今までこの話しはだれにもしゃべったことは無い。先生が初めてじゃ。話して楽になった。」
 彼は信二を先生と呼ぶ。ここで触れた優しさが彼の口を開かせたのか。胸にしまい込んで苦しんでいたんだろうと、信二には田中の心中が察しられた。
 人には運、不運がある。彼も発狂しなければそのまま従軍して戦死したかも知れない。いたいけな子供の心に触れて、その子の命を救おうした優しさが運を呼んだのか。
 今、自分は終末医療を支える側にいる。それは意義ある仕事だと自負できる。しかし、支えられる側に廻ったときそれを構成する器(うつわ)は健康でいられるのだろうか?近未来にやって来る人口ピラミッドの完全なる逆転現象を考えるとき不安になる。
 田中さんは終末期を迎えて生きていることを幸せに思っているのだろうか。彼は生きている限りこの国の憲法で護られる。
 第十二条は他から犯されることの無い『基本的人権』を謳(うた)っている。
 第十三条には『全ての国民は個人として尊重される』と記(しる)されている。
 彼は戦争を『いかんこと』と否定している。
 第九条では『戦争の放棄と戦力及び交戦権の放棄』をアナウンスしている。戦争を放棄する意義を主張した後に『その目的を達するために戦力は保持しない』とある。
 よく言われる事だが『その目的を達するためでなければ』保持しても良いという解釈が有る。
 昭和二十五年に『警察予備隊』が発足してその後『保安隊』に改編され、更には『自衛隊』なって今日に至っている。いずれ?軍タイ?と名前を代える出世魚か?
 今、改憲について論議されている。特に第九条はその中枢にある。
作品名:夢と現(うつつ) 作家名:笠井雄二