夢と現(うつつ)
「そんな答え方しかできんだろう。人生相談でもそうだろう。結局は自分で回答を見つけるしか無いんだ。それとも『自殺してしまえ』とでも言ってほしいかい?」
おっさんの言う通りだ。解っているよ。
「帰るよ。今日は勝てそうに無い。にいさん、頑張って儲けなよ」こう言い残して老人は帰って行った。
信二のマシンはまだ連チャンが続いている。自分ではない自分を装ってみたが、薄暗い店内で自分だけがスポットライトを浴びて浮き上がっているだけか?
でも、今日は良かった。どんなに変装しても自分という個体はひとつしか存在しないことが解った。別の個体にはなれん。現にあのおっさんは見破った。逃げられんということだ。
信二は店員を呼んで帰ることを告げた。
「お客さん、この台は掛かっていますよ。やめるんですか?」店員は不思議な顔をして問うた。
「そうだよ。コインを景品に交換してくれ」と言いながら後ろの席で打っている若い女性に「お嬢さん、この台を打たないかい?」と声をかけた。
「えっ、いいんですか?」
「いいよ。時間が無いんだ」そう言って女性に権利を譲った。タバコとライターもそこに置いた。そうなんだ、時間が無いんだよ。
景品は全部チョコや菓子類と交換した。持ち切れないほどの嵩(かさ)になった。タクシーを拾い、病院に戻った信二は真っ直ぐにまゆの部屋へ向かった。
「まゆちゃん、おみやげだよ」と言って大きな包みを差し出した。
まゆはそのいでたちを見て驚いた表情で
「ありがとう、おじさん。おばさんが探していたよ。でも格好いいね。」と笑った。信二はサングラスを下げて笑い返した。
自分のフロアにある詰め所の前を通りかかると婦長が仁王立ちになっている。
「加藤さん、外出はいかんとは言いませんが無断では困ります。ちゃんと届けを出してください。今度からは気を付けてくださいね」
「ごめん、ごめん」と言いながら逃げるように自室へ戻った。そこには佳代子と紀子が待っていた。ふたりとも責めるような目で睨んでいる。
「そんな格好でどこへ行っていたのよ。無断で」法子が責める。
「パチンコだよ」
やけに明るいその表情を佳代子は見逃してはいない。チンピラかやくざとも見える風貌で何を考えているのか。
「昨日の買い物からちょっと変ね。どうかしたの?」佳代子が問う。
「生き方を見つけたんだよ。いいじゃないか、好きにさせてくれ。少し考えたいことがある。帰ってくれないか」
「勝手なことを言わないで。みんなどれだけ心配してると思うの。お姉ちゃんだって同じよ」
「何を心配してくれてるんだ。今はそうかも知れないが、動けなくなり介護の毎日が長く続くとやがて死んでくれと思うようになる。それが当たり前だし、そのことに恨みを持ったりはしない。明日みんなここへ集ってくれ。それまでに決めておきたいことがある」
「分かったわ。そこにお姉ちゃんが作った肉じゃががあるから食べて。帰るわ」と佳代子の手を引いて法子が出て行った。
あした信二が何を言いだすのか佳代子は不安になった。夜になって佳代子は時雄に電話をした。
「こんなふうで何か落ち着かないのです」佳代子はここ数日の信二の変化を時雄に訴えた。
「そうでしたか。昨夜も私に、話しがあるからすぐにでも出て来いと言っていた。よほど何かの変化があったのでしょう」
「その前に主人に、あのことを詫びようと思うのですが?どうでしょうか」
「なぜそう思われるのですか?」
「あした主人がなにを決意してなにを言うのか見当が付きません。ただ、今詫びなければ最後まで詫びることができないように思うのです。何か吹っ切れたようなあの行動が不安を誘うのです。私は謝りたいのです」
「たぶんあいつはそのことには一切触れないでしょう。あなたの気持も解りますが、それは伏せてください。
前にもお願いしましたが『だまされ役』を演じきってください。辛いでしょうが。明日は日曜日です、私が出掛けます。先に私が会いましょう。皆さんは夕方来てください」
礼を述べて佳代子は受話器を置いた。
翌日の昼前に時雄は信二の病室にいた。
「奥方が心配して昨夜、電話をしてきたよ。どうしたんだ?」
「遠いところをすまない。ある種の答えを出したんだ。だが、残念なことに腹を打ち明けることができるのは先生しかいない。聞いてくれ」
「それはかまわん。それより外出できるか?気分が良さそうだ。旨いものを食いながら聞こう。それからうわさの黒装束で行こう」
今度は詰め所へ届け出てふたりは出掛けた。今日はおごるという時雄は前もって予約しておいた料理旅館へ信二を招いた。庭が見渡せる部屋に通された。蟹のフルコースが準備されている。
「豪勢だな」
「お安い御用だ。何か飲むかい?」
「そうだな、ビールを頼む」
やがてビールが運ばれてきた。時雄は「呼ぶまでそっとしておいてくれないか。鍋はそのときにしてくれたらいい」と仲居に頼んだ。信二の服装を見て仲居は何かの事情を察したのか「ごゆっくり」と言って出て行った。
「さて信二、ここはふたりだけの空間になった。こうして一杯やれるのもこれが最後かも知れん。サングラスは外せよ。本音で話そう」
「こころ配り、ありがとう。まゆを知ってるだろう?」
「ああ、怪我をさせてしまったと己を責めているあの子だろう」
「そうなんだ。俺のことを『忘れない』と何度も言ってくれた。忘れられることこそが辛い。全くの他人が発したその言葉が嬉しい。残された時間をどう生きるかの指針をまゆが教えてくれた。
そう感じたときから妙に気分が良い。体も軽いし酸素も必要としなくなった。まゆのパジャマを買っているときにこの黒装束を思いついたんだ。自分ではない自分を装って、どこかの集団に立たせてみようと考えた。何か解ると思ってね」
「それがパチンコ屋かい?」
「そうだ。俺の格好にみんな恐れたように見えた。やくざかチンピラに見えたんだろう。こっけいだったよ。ひとりの老人が話しかけてきた。彼は俺に『中途半端』と言った。見破っていたんだ。
自分を偽ってもそれは外見だけで、真の自分からは逃げられない。結局は自分の死を認めるしかないことに気が付いた。おおよそは覚悟していたことだけれどね。
奇跡が起こってほしいと思ったこともある。死ぬことは怖いよ。だけど老・病・死からはだれも逃げられない。このことを否定することは『生』をも認められなくなる。そのことは森羅万象の原点と考えると今、生きていることがありがたいと思えるようになった」
「それだけか?」
「それだけだ。それで充分だ。そりゃぁ、恨んだこともあったさ。なんで自分がとね。迷いは膨らみ自分の中で錯綜していた。いつか先生も死ぬんだよ。自分だけじゃないと思えば恐怖は薄れていった」
「俺は怒ったよ。何でお前がこんな目に合わなきゃならんか。もっと悪い奴が大勢いるではないかとね」時雄は死刑囚の話しをした。
「もういいよ。現実からは逃げられん。受け入れるしかない。生は偶然、死は必然なんだ。ややもすると逆に考えてしまう。