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夢と現(うつつ)

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「五十通くらいあると思います。京都の後、一年くらいの間に寄せられたものです。返事の来ない全て一方通行です。私が開封して手元に留めたものばかりです。ご覧になりますか?歯の浮くようなことを書きまくっています」その後ぷっつりと手紙が来なくなってふたりは別れたと信じていた。『七年後に佳代子からの手紙を受け取るまでは』と明美が付け加えた。
 そうだったのか。七年の空白というふたつ目の疑問も解けた。信二は次々に明かされる事実に驚きながらも、これ以上聞かない方が良いのではとも迷い始めた。
 それを察したのか明美が口を開いた。
「ここまで来たのです。逃げないでください。ここで逃げるとあなたは一生涯逃げ続けることになります。辛い現実を知ることになりますが背を向けずに聞いてください。あなたの心に宿っていると思われる、常識外れの良心を私は信じたいのです。そうすることによって一番の被害者であるあなたも救われる路が有るような気がします。このとおりお詫び致します。私がもっと強行に阻止していればここまであなたを苦しめることにはならなかった。許してください」
 明美が両の手をついて信二に詫びた。おそらくは七年の空白後の顛末(てんまつ)がもっと強烈な刃(やいば)で襲い掛かって来るであろうと信二は察した。
「この船場という街には、昔から『こいさんやいとはん』と呼ばれる大店(おおだな)の娘と、丁稚に代表される奉公人との悲恋がたくさん語り継がれています。船場を訪ねて来られたのも何かのご縁です。最後まで語らせてください。実は私も苦しかったのです」自身も苦しかったのだろうか、明美が告白した。

        常識外れの良心
 明美は初めて信二に詫びてくれた。そして信二に『常識外れの良心』というボールを投げかけてきた。そんな単語があったのか?信二は聞いたことが無い。辛い決断を選択しなければならいのだろうか?信二が思いを巡らしているうちに、食膳を片付けた明美が戻ってきた。
「七年の空白があって、初めに手紙をよこしたのは佳代子さんでした。哲夫さんの子供を宿したという内容です。ただならぬものを感じた私は手紙をしまい込むことはできないと考えましたが、そのまま哲夫さんに渡すこともできずひとりで困惑していました。悩んだあげくに佳代子さんに会って話しを聞いたのです。七年目の再会でした」
 それによるとふたりは偶然にも旅先の伊豆で再会したという。
 その三年前に養父が病死して跡を継いで哲夫は院長になった。その直後に京子は家を出て外の男とできてしまった。そして哲夫に離婚を迫り、母親も了解したため正式に離婚をした。唯一の歯止めであった父親が死に、言い出したら聞かない我がままに負けたというのが母親の本音らしい。
 母親の面倒は哲夫が看ている。哲夫の優しさに感激した養母は再婚を勧めた。しかし、哲夫は佳代子のことが忘れられず養母が勧める縁談を断り続けていた。そんなときに学会の会議が伊東市であり、有名な浴場があると聞き出掛けた混浴の湯殿で佳代子に会った。
 佳代子は看護婦仲間で休暇をとり伊豆へ旅行に来ていた。そういえば四歳の由美子をひと晩面倒看ながら留守番をした記憶を信二は思い出した。
 二日目の朝、佳代子は急用ができたから先に帰ると言って仲間と別れて哲夫の宿へ向かった。そこで離婚した経緯などを聞き哲夫の部屋で関係ができたというのだ。
「どちらから誘ったの?と聞くと、佳代子さんはどちらからともなく自然にそうなったと言っていました。逢ったのはそのときだけだとも言っていたのです。それには嘘は無いと感じました」
「そのときに妊娠したと言うのですか?私の子かも知れないとは考えなかったのでしょうか?」手紙の中でも全く疑っている節が無いことを不思議に思っていた信二が疑問を投げ掛けた。
「私も同じ質問をしました。すると『女にはあの時に宿したというのが確かに解る』と言うのです。私は子供を生んだ経験が有りません。とても理解できないことでした。ただ、その後の手紙の中で哲夫さんも疑っていないのです。男のひとも同じような勘が働くのですか?」と逆に明美が聞き返した。
 信二は返事に困った。確かに当時、佳代子とのそっちの方面は無かった訳ではないが回数はしれていた。それに、ふたり目はいらないと考えていた信二は避妊を忘れなかった。そういうハード面では信二の子である確立は極めて低いだろう。しかし、確かに受け取ったというソフト面は女だけのものではないような気もする。
 佳代子から長女を身ごもったと最初の妊娠を聞かされたとき『あのときできたかな』と信二も思ったものだ。
「そう言われると男にも似たような感情を持つこともあります」と信二は答えた。
「そうですか。いずれにしても自分たちの子供だと、ふたりは全く疑う気配がありません。そしてあなたと別れてほしいと哲夫さんが頼んだようですが、それは佳代子さんが拒否しました。それができないならば子供は堕胎(おろ)してくれと頼んだようです。
 三通の手紙が佳代子さんから出され、同じ数だけの返信が哲夫さんからありました。これが最後になったのです」哲夫からの三通は信二も読んだ。
「哲夫さんからの手紙は読みました。最後の部分で彼は佳代子の決断に驚きを示し、それによって目覚めたと述べています。その決断とはいったいどんなものだったんでしょうか?」最後の疑問を投げ掛けた。
「その件(くだり)はよく覚えています。生々しい表現で母としての原点を真っ向から主張していました。およそこんなことでした。
『あなたと一緒にいる時間、私は妻でも母親でもなくひとりの女として過ごした。私の気持ちの中のどこかにあなたを忘れられない魔性が住んでいる。京子さんに対してはジェラシーに似た感情を抱いたこともある。主人を裏切った不倫の責任は私にもある。どこかのタイミングでひれ伏して詫びなければならないと思っている。あなたの子供を宿すまではそう考えていた。
 しかしお腹の中にはひとつの生命が宿った。その父親が主人ではないことは不幸なことだが、今となってはあなたでなければならいという理由はどこにも無い。ひとりの母親としてただ々々この子を護ってやりたい。理由はどうであれ、この子の生命(いのち)を絶(た)てというあなたは卑怯だ。だから生ませて欲しい。あなたのことは口が裂けても口外はしない。申し訳ないことではあるが秘密を隠してこの子を産む以上は主人にも詫びる機会も無くなる。全ては私ひとりが背負う。そしていつか天罰も受ける。もう忘れて欲しい』
 この一節には私もある種の感動すら憶(おぼ)えました。秘密を通してでも母として子供の命を護る。そして、そのためにはその罪も罰も一身で受けると言う。その決意には哲夫さんも従うしかなかったのでしょう」
 信二はここに何かの糸口があると思い、続けて尋ねた。
「先ほどあなたは『常識外れの良心』という表現をされました。今の一節を聞いて漠然とですがその意味が見えそうな気がしています。受け入れることができるかどうかは分かりませんが、あなたの本心をお聞かせください」
「いいでしょう。あなたにとっては過酷なことかもしれませんが。」と前置きをして明美が続けた。
作品名:夢と現(うつつ) 作家名:笠井雄二