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夢と現(うつつ)

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 『父親が違ったのか』
 家ではその法子が帰りを待っている。まっすぐに帰る気にはなれない。車だが運転代行屋を頼めばいい、信二は縄のれんをくぐって居酒屋のカウンターに座った。やや混んではいたが比較的おとなしい客ばかりなのか大声で騒ぐような場面は無い。考え事をするには丁度いいと信二は思い、おでんと湯豆腐、それに熱燗を頼んだ。
 島野明美とはどんな女性だろうか?ふたりとはどんな関係なんだ?歳は?勝手に疑問が頭の中をめぐりだした。酔いが廻るに連れて思考の順序はでたらめになった。
 自分の娘に襲いかかる父親はいないだろう。きのうまではそうだった。今は違う。女として扱うこともできる。なぜ気付かなかったんだ。いや違う。なぜ佳代子は隠し通そうとするんだ。こんな大それたことを犯して、どうして平気で普通の暮らしができるんだ。信じられん。
 あの手紙は事実なのか?事実だろうな。この事実が分かればどうなるんだろうか?だれが一番傷つくのだろうか?家族全部だろうな。家族が空中分解してしまうかもな。  
 自分がこのまま何も知らなかったことにしたら普段の暮らしを続けることができる。そんなこと、できるもんか。俺の気がすむようにしてやる。それも悲しいな。
 四本目のとっくりを頼んだ。コップをもらい一気に飲み干した。普段はこんな飲み方はしない。その割には酔えない。頭の中は冴えている。時計を見るともう十一時少し前だ。客も少なくなった。信二は運転代行を頼んで帰ることにした。
『隠れ家も無いしな』帰るしかないのかと信二はため息交じりのひとり言をつぶやいた。家に着くと法子が起きて待っていた。
「お帰りなさい。遅かったね。あっ、お酒飲んでる。そんな暇があるならお母さんを見舞ってあげれば良かったのに」ネグリジェ姿で信二の上着を脱がせようとした。とても直視はできない。視線をそらしながら「ちょっと誘われてね」と答えるのがやっとだった。
 娘ではない。これは女なんだ。
「すぐに寝るからお前も寝なさい。明日は休みだから起こさなくていいよ。起きたらお母さんを見舞っておくから」そう言って信二は法子を突き飛ばすように風呂にも入らず自分の部屋へ入った。
 いつも様子と違う父親の行動を法子は姉に電話で伝えた。
「お姉ちゃんどう思う?」
「お母さんが初めて大きな病気をしたので動揺してるんじゃないかな。放っておけば治るよ」信二の困惑をよそに、普段の会話がそこにはあった。

        船場
 翌朝、信二は早くから目覚めていたが起き上がらずにじっとしていた。そして法子が出掛けるのを待って起きてきた。法子の顔をまっすぐには見ることができない。どこか身構えている自分に信二は複雑な感情になった。
 まず、佳代子の部屋に行き手紙は順序をランダムに並べ替えてそっと元の位置へ返した。夕べの酒が残っている。頭の芯が痛い。信二はコップ二杯の水を飲み干して着替えを始めた。そして佳代子の病院へ向かった。
 信二は病室の前まで来てためらったが静かにドアを開けて中に入った。個室だから佳代子ひとりだ。ベットに起き上がってテレビを見ている。
「おはよう。昨日は来られなくてすまなかった。気分はどうだ」信二が努めて冷静を装い、佳代子を見舞った。顔が引きつっていそうな気がして心配になった。
「大丈夫よ。それより夕べは遅かったんでしょう。急患が有ったんだって?法子から連絡をもらったわ。休みなんでしょう?もっとゆっくり寝ていれば良かったのに」
「急患もあったが、誘われて一杯やってから帰ったんだ。飲みすぎた、二日酔いだよ。匂わないかい?」うまくしゃべれた。信二は安堵した。
「匂うわよ。そんなんで病室にいたら怒られるかもよ」佳代子の表情は普段と変わらない。
「今度のことではお父さんに心配を掛けたね。ごめんなさい。早く元気になって退院するから。あなたの好きな肉じゃがも作ってあげたいしね」佳代子が信二に、すまないという表情をしながら頭を下げた。
 佳代子は病気に倒れたことを詫びている。(他に詫びなければならないことが有るだろう)と、飛び出しそうになった言葉を信二は飲み込んだ。誰かが見舞ってくれたのか果物の籠盛りが置かれている。そのみかんをひとつつまんで「ちょっとタバコを吸ってくるよ」と言って信二は階下へ降りていった。玄関の外に喫煙コーナが準備されている。
 ホスピスで見聞きした激動の体験には胸打たれるものがあった。自分は平凡で特記するようなものは無いだろうと思っていたのに、とんでもない事象が突然表面化した。このまま胸の中にしまい込んでしまえば苦しむのは自分ひとりで済む。
『良い事はマネろ。悪いことは慣れろ』と、どこかで聞いたことがある。どうしよう。信二は自分がうろたえているのがよく分かった。
 思い悩んでいるところに由美子がやってきた。「あら、お父さん、そんなところで何をしてるの?」
「あっ、いや、ちょっと出掛ける用事が有る。母さん頼む」信二は逃げるようにその場を離れた。
「変ね。やっぱりおかしい」由美子は昨夜、法子が伝えてきた異変を母に話した。
 それを聞いてしばらく考えて佳代子が言った。「そうね、確かに今朝の表情はいつもと違った。何か困ったことでもあったのかね。他に気付いたことはない?」
「そう言えば、手紙のことを聞かれたことがある。そうそう、お母さんが倒れた次の日だったわ。宛名が他人の手紙がどうのこうのといっていた。法子とふたりで笑って聞いていたんだけれど、そのまま大した話題にもならなかった」
 その話しを聞いた佳代子は黙りこんでしまった。ごみを捨てて帰ってきた由美子は母の顔を見てびっくりした。
「お母さん、どうしたの?気分でも悪いの?顔が真青(まっさお)だよ」そう言って由美子はナースコールのボタンを押した。看護婦がやって来た。脈と体温を診て「どうですか?どこか痛いですか?」と訪ねた。
「いえ、少し気分が優れませんが休めば良くなると思います」佳代子は精一杯答えた。由美子も帰して佳代子はひとりで考えてみた。
 夫はあの手紙を見たに違いない。いつかはやってくると思っていたが、そのときが来たんだ。そのときの覚悟はできていたはずだが病に伏している今は辛いものがある。しかし夫には真摯に詫びよう。そして判断は夫に任せよう。どんな罰でも受けよう。佳代子は腹をくくった。

 信二は手紙の住所だけを頼りに地下鉄の本町駅に降り立った。交番で聞いてやっと見つけた。それは繊維の街、船場の一角に有った。
 雑居ビルに挟まれた二階建ての古い家に『習字教室 島野』の看板が出されている。看板にはかなりの年代が感じられた。昼前ではあったが信二は格子戸を開けて中に入った。
 見事な白髪の女性が和服姿で出迎えてくれた。歳は七十代くらいであろうか。信二は身分、姓名を告げたが女性は落ち着き払って、自分が島野明美だと名乗った。
「旧姓、門野佳代子は私の家内です。家内と前田哲夫さんと名乗る医師についてお尋ねしたいことがあってまかり越しました」信二が訪問の目的を伝えた。
 明美の表情がやや動いたかのように見えたが、動揺は見えず「どうぞお上がりください」と信二を招いた。
作品名:夢と現(うつつ) 作家名:笠井雄二