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夢と現(うつつ)

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 父娘(おやこ)である関係を誰も疑わなかったはずだ。佳代子だけが知っていたのか?信二は奈落の底へ突き落とされた気分になり、憤りがこみ上げてきた。
 しかし、待てよ。このストーリーには不思議なところがいくつかあるではないか。信二は考えてみた。
 『島野明美』は由美子の言う正にダミーだったのだろう。しかし、独身時代にもダミーを使わなければならなかったのはなぜだろうか?
 信二は、子供はひとりでいいと考えていたから長女の由美子ができてからはずっと避妊をしていた。佳代子が法子を身ごもったときは、信二は三十代半ばで夜の生活もさほどではなかった。にも係わらず佳代子は妊娠した。
(避妊も失敗することが有るって本当ね。私、産もうと思う)
 確かに佳代子はこう言った。信二も失敗を認めたからこそ、もうひとりいても良いかと思ったのだ。
 佳代子はなぜ本当のことを隠したのか。本当のことが言えないのなら、なぜ隠れて堕胎(おろ)さなかったのか?本当にその子を産みたかったら自分と離婚(わか)れてでもという選択肢を捨てて、なぜ信二をだまし通す方を選んだのか?
 信二と結婚した後もその男との関係が続いていたとは気付かなかった。疑ったことも無かった。そこまでの仕打ちを受けなければならないほどのことは身に覚えが無い。平気な顔で今日まで自分を裏切り通すほど佳代子は悪玉だったのか?そうは思えないのだが?
 それに手紙が無い空白の七年は長すぎる。これは何を意味するのか?
 着信の手紙は有るが、それには佳代子からの返信がきっと有るはずだ。それもダミーを介して届けられたのか?だとすれば共通のダミーになり得た『島野明美』とはどんな女性なのか?そしてふたりの間でどんな役割りを演じたのだろうか?それは今も続いているのか?
 いくつもの疑問符を考えるとき、よほどの裏があるのではと信二は思った。もう夜明けが近い。全部の手紙をカバンに入れて信二は少しでも寝ようと床に就いた。

         秘密
「お父さん、起きて。もう七時よ」法子に起こされた。
「いつも朝早いのにどうしたの。具合でも悪いの?ああ、お母さんのことが気になってよく眠れなかったんでしょう」
 この子は何も知らないと信二は思った。法子の作ってくれた朝食を食べて信二は出勤して行った。法子が佳代子を見舞ってから学校へ行くと言っていたので信二は仕事帰りにでも寄ってやろうと思った。
 夕方、仕事が終わってから信二はレントゲン室で昨夜の手紙を初めから全部読んだ。複雑に錯綜する人間関係が読み取れた。

 前田哲夫は小児科の医者であり、皮肉にも信二と同(おな)い年だ。学生時代の佳代子と接点がありふたりは恋仲になった。深い関係になりふたりは結婚を約束したが哲夫は勤務先の院長のひとり娘と結婚してしまう。旧姓は新井であったのが結婚と同時に今の前田に代わった。手紙の中で父、母と呼んでいるのが院長夫婦のようだ。娘は京子という名で登場する。
 理由は分からないが哲夫はこの父母に育てられた。京子との結婚を断れない理由を『父母には育ててもらった恩があるから』と言っている。何らかの理由で強引に結婚させられた。時期的には佳代子が卒業するころに当たる。佳代子との仲を隠すためにダミーが必要だった。佳代子の返事は間違いなくこのダミーに送られたのだろう。二十歳(はたち)で信二と結婚したのはやけっぱちな感情が働いたと佳代子は手紙の中で言っている。
 空白の七年の前、信二と結婚後一年まで手紙が届けられた。その最後の方で佳代子の結婚後も続いたふたりの関係について哲夫の言葉がある。
『自慢にはならないが私には京子を裏切っても仕方ない理由があると思っている。わがままに育てられ欲しいものは何でも与えられてきた。私を夫だとは思っていない言動がしばしば見受けられる。それに逆らうことは許されず虐(しいた)げられた日常生活は新婚当初からあった。私の浮気の原因は京子にもあると断言できる。しかし、君のご主人には罪は無い。
 そのことを充分に理解しながらも君から離れられない。逢って一緒に過ごす時間は充実しておりそれはあっという間に過ぎ去ってしまう。そして別れた後すぐに禁断症状が現れる。君と言う麻薬に吸い寄せられるようにまた逢いたくなる。君のご主人にはいつも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私はご主人に八つ裂きにされても文句は言えない』
 そのころ自分も新婚だった。勝手なことを言ってやがると信二は腹が立った。(もう逢うのはやめよう)という単語は一言も無いまま空白の七年に入っている。空白の後の三通はまた信二にはつらい内容であった。
 関係が七年間持続していたのか、突然再会したのかは定かではないがその頃に佳代子は哲夫の子供を身ごもっている。堕胎(おろ)してほしいと懇願する哲夫に佳代子は特別な決意を述べたのだろう。最後の手紙に哲夫の苦しむ一節があった。
『君の決断には驚いた。同時に目が覚めた。子供の父親が私でなくても関係ないと言い切る君の母という感情が目覚めさせてくれた。私の感情が入り込む余地は全く無い。もう君の前には姿は見せない。経済的にも恵まれていながら、私は生まれてくる我が子には一生逢うこともできず、何もしてやれないことに耐えられる自信は無い。しかしそれは私の犯した罪に対する罰だと思い死ぬまで背負っていく。いつか君がご主人に詫びる時が訪れたら私も一緒にお詫びをさせてほしい』
 勝手なことばかり言ってやがる。しかし(本当に自分の子供か?)との疑いを投げた様子も無い。それを否定する佳代子の発言も無いようだ。よほどの自信がふたりには有ったのだろうか?自分の影はもっと彼らを怯えさせてもいいはずなのにそのことはあまり表面には出てこない。このことは寂しいことだが、今日まで気付かなかった自身の不甲斐なさの方が悲しくなる。
 信二は憤りながらもなぜか自分が冷静になっていることが不思議だった。ただ、哲夫を驚かせ、目覚めさせた佳代子の決断とは何だったのか、信二は知りたかった。哲夫には絶えずダミーが必要なのは分かるが独身時代の佳代子にはなぜ直接手紙を出さなかったのか?結婚前の佳代子にダミーが必要だった理由が分からない。
 明日は非番だ。信二は『島野明美』を探して逢ってみようと思った。手紙だけでは読み切れない真実がまだ多く有ることを確信した。時計は八時を指している。家に電話すると法子が出た。「急患が有り遅くなっている。帰りは遅くなると思うので食事はいらない。今日は見舞いに行けないが明日行くことを佳代子に連絡してほしい」こう頼んで信二は家路に付いた。
 
        迷い
 それぞれ気質の違う娘たちだか、それぞれに良いところがあってふたりとも信二の自慢の娘だが『総領(そうりょう)の甚六(じんろく)』とはよく言ったものだ。上の由美子は甘やかしたせいか手がかかる子だった。それに引き換え法子は何でもひとりでできる子で放っておいても心配なかった。
 比べるつもりは無いが、法子は成績も優秀で運動神経も郡を抜いていた。ロシア文学が好きで、原語で読んでみたいとロシア語を専攻するために勝手に大学を決めてしまった。
 同じ腹から出てきてこんなにも違うのかと信二は感じていた。
作品名:夢と現(うつつ) 作家名:笠井雄二