夢と現(うつつ)
仕事に誇りと責任を持ち、がむしゃらに働いてきた世代だ。その背景には少しでも豊かな暮らしを求める欲望があった。確かに豊かにはなった。九十九?の幸せは金で買える。しかし残りの一?は絶対に買えない。この一?が時々謀反(むほん)を起こす。それは病気であったり突然のリストラや信じていた者の裏切りなどだろう。
豊かな生活や自身の地位を護るために、あたかも職場が家庭のような生活を繰り返してきた。会社にいるときが一番安心できる。たまの休みに家でいると何か落ち着かない。用も無いのに会社に行き自分の席について安堵感を感じる輩(やから)も多い。そして周りを出し抜いた錯覚に酔ったりする。子供の教育や家庭のことはかみさんに任せて省(かえり)みない。会社や仕事関係の友人知人はたくさんいても、それ以外ではほとんどいない。となりの主人の顔さえ知らない。
全てではないだろうが多くはそうだろう。特に団塊の世代と呼ばれる層には多い。ある日突然定年になり、その翌日からは身の置き場すら無くなってしまう。これといった趣味は無く金を使わずに時間を過ごす術も持ち合わせていない。
昼間、家にいると家中をうろうろしているだけで目的も無く時間が過ぎ去る。それでも初めのうちは家族も気を遣ってくれるがそれもひと月くらいだろう。
男が家でぶらぶらしているのは嵩(かさ)高(だか)い。かみさんが嫌味(いやみ)のひとつも言うようになる。そのときになって慌ててみても結果は同じだ。男一匹、外で働き家族を養ってきた。『何か文句あるか』と言ってみても、じゃぁどうして欲しいんだと聞かれるとこれもまた返答に困る。
「働きすぎたんだ。家族や地域との交流を蔑(ないがし)ろにしてきた。そしてそのことには少しも抵抗感は無く、むしろ自慢にさえしてきた。若いときはそれでも良かった。今になっても潤沢に使える金でもあれば別だがそうもいかない。ツケが廻ってきたんだよ。
お前が今、何か迷いのようなものを感じているのはこんなところじゃないかな?夢が有ったと言うが『じゃぁどんな夢があったんだい?』って聞かれると確固たるものは見出せない。そうだろう?」と時雄が尋ねた。
「うん、そうかも知れない」自信無さそうに信二が答えた。
「お前がホスピスで接したひとたちの話しには緊張感がある。それは戦争や死期を悟った現実がそうさせているはずだ。考えてみると俺も同じだが、鳥肌が立つような興奮や何かのために本気になって怒ったという記憶はあまり無かったように思う。無かった訳でもないだろうが胸を張って語れる部分はいくつも無いんだろうな。そういうひとがきっと多いんだろう。我々を含めてな」時雄が天井を見上げながらこのように話した。しばらくふたりは考えこんでしまった。
人生には踏み台にされる側が踏み台にする側よりきっと多いはずだ。そのときは利害が絡んで他人を蹴散らかしたりしたこともあっただろうが、どちらも普通に生きてきたはずだ。世間に背を向けて犯罪に走ったりするのは少数派だ。それぞれが形は違うが世の中に貢献してその第一線を離れようというときに余りにも寂しい現実を多くの団塊世代は味わっている。寂しい。何か忘れてきた、やり残してきたと。それならばこれからどうするんだと自問してみてもすぐには答えは見つからない。
絵が書けるか?そんなことはできない。
ピアノなどの楽器が弾けるか?触れたことも無い。
俳句や川柳が捻(ひね)れるか?とんでもない。
英語がしゃべれるか?冗談じゃない。
趣味を開拓しようとしても一銭の儲けにもならないことには抵抗がある。そんな打算的な考えにしかなれない現実もそこには見え隠れする。昨日まで仕事人間であった者が今日からは何を糧(かて)に生きて行こうか?からだに沁(し)みついた匂いは簡単には消し去ることはできない。
休診の看板を掛けて、結局は悪天候に阻まれてふたりはどこへも出かけられずに出口の見えない会話で夜を迎えた。
翌朝は天気も回復して信二は時雄に礼を言って帰途についた。別れ際に時雄が言った一言が信二には重い。
「仮に『働きすぎ』という病名が有るならばそれを治す『薬』はあるだろう。お前は早期発見できただけに優れた治療方法が見つかるよ。自分を大切にしなよ」自分を粗末にする奴に家族や周りを大切にできるものかと言いたげな時雄の表情だった。
起承転結
長崎市の外れに実家がある。長兄が跡を継ぎ僅かばかりの田畑を護りながら父母の面倒を看ている。時雄と別れた信二は実家へは向かわずにそのまま長崎空港から帰途に就いた。
ここまで来たのだから少し寄って両親に顔を見せてやれば喜ぶことは分かっているがなぜか敷居が高い。最近では冠婚葬祭しか実家へは帰っていない。それでも時間があれば寄ってみようと思っていたが、今朝フェリーで読んだ新聞の訃報を見て立ち寄ることはやめた。生活基盤のある場所に少しでも早く帰りたくなったのだ。ある著名なタレントの死が報じられていた。五十八歳、癌だったと伝えている。
信二が好きなタイプのタレントのひとりだ。病に倒れここ一年ほどは療養中だったと記してあったがそんなことは知らなかった。つい先週も彼が主演するテレビドラマを観たばかりだ。何度でも繰り返し放映されているので、あたかも今の瞬間も活躍しているように思う。自分よりひとつ若い。今のご時世、あまりにも早い死といえる。
栄枯盛衰は世の常とはいえ、ひとの一生は文章の起承転結に似ている。長い下積み期間があったと聞いている。そしてタレントとして不動の地位を築いた彼は、自分が人生の『結』を迎えたことを知っていたのかそれとも、知らずにか知らされずいて「必ず治る」と最後まで信じていたのだろうか。そんなに古いとは思わなかった先週のドラマでは彼は絶頂期に思えた。
『人生なんて分からんものだな』と信二は自身とダブらせていた。『帰ろう』と決めたのだった。
夕刻には家に着いた。土産に買った新鮮な鯵の一夜干しを佳代子に焼いてもらい一緒に食べようと玄関を開けた。
「お父さん、どうしてたのよ?携帯もつながらないし。お母さんが仕事中に倒れたんよ。今、おねえちゃんが付き添っている」次女の法子だ。勤務先の病院で昼食後気分が悪いと言って食べたものを吐き、そのまま倒れたという。
「今どこにいるんだ」
「市民病院よ。内藤先生が診て、すぐに救急車を呼んだらしいわ。お姉ちゃんから連絡をもらって、身の回りのものの準備とお父さんへの連絡のためにさっき学校から帰ってきたばかりよ。携帯はどうしたのよ。肝心な時につながらないなんて、そんなの携帯電話とはいわないわよ」法子が噛み付いた。
内藤先生とは佳代子が勤める病院の院長だ。中村医師も言っていたが開業医は自身の手に負えないときは速やかに設備や環境の整った大病院へ移送する。瞬時に移送を決意した内藤院長の判断はよほどのことかも知れない。
信二は法子と共に市民病院へ向かった。道中、法子が携帯がつながらなかったことを責めまくっている。それには答えずに信二は考えていた。今朝、著名人の訃報に触れて早く帰りたいと思ったのは何かの知らせだったのか。