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つるさんのひとこえ 4月編 其の一

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 体育館へ向かう廊下でクラスの半分ほどの生徒が狐につままれたような、すっきりしない顔をしていたのがいい証拠だ。

 四月の初旬の体育館というのはまるで外にいるかのように寒い。一応、体育館専用であろう巨大なヒーターは稼働しているのだが、それが効き始めるのは入学式が終わる頃だろう。坂を上ってきた時と同じような白い息があちらこちらからあがる。
 寒さとの戦いであった入学式は滞りなく進んだ。国歌斉唱から始まり、定番である校長や教頭の挨拶、校歌の斉唱。式の案内に書いてあることは全て終わった。これでようやく入学式という名のシベリアから解放される、とほっとしたのもつかの間、
「それではこれより、年間行事部による新入生への挨拶です」
 まだ何かあるのか。ん?年間行事部?どこかで聞いたような――。そういえば矢沢先生が顧問をしているっていうあの――。
 決して優れているとは言えない頭から記憶を絞りだしたとき、先ほどまで校長らが挨拶をしていたステージの上に女子生徒が立っているのが見えた。
「諸君。まずは入学おめでとう。私は年間行事部部長の鶴瀬香苗だ。本日四月五日はデビューの日ということで、君たち新入生にエールを送るためにこの場を借りた。それではこれから三年間、互いに切磋琢磨し部活や勉学に励んでくれたまえ。以上だ」
 突然のことにざわついていた僕たち新入生は、歯切れのいいドスのこもった声のおかげで水を打ったように静まりかえっている。今のは一体何だったんだ?デビューの日とか言ってたけど何のことやら――。
「では新入生の皆さん、退場してください」
 ただ一人、この場で冷静だった進行役からのアナウンスを受け、僕たち新入生はようやく温まってきた体育館を後にした。

「えっと、入学式も無事に終わったことですし、自己紹介でもしてみましょうか。それじゃあ、出席番号順でお願いします。」
 教室に戻ってくるなり、矢沢先生は自己紹介を提案した。
 僕は自己紹介が好きではない。今、座っている席は廊下側の二列目。つまり出席番号でいうところの二番で、自己紹介の順番も二番目。現在、出席番号一番の女子が自己紹介をしている。
マズい。非常にマズい。いつものことだが自分の何をどう紹介すればいいか皆目見当がつかない。ここで変なことを言ったりしたら一年、いや下手をすると卒業するまで変な奴というレッテルを貼られたまま学校生活を送るはめになる。たった三十秒か一分の間にこれからの学校生活におけるカーストが決まってしまう。こんなことをして何の意味があると言うのだ!
 ――支離滅裂になってしまったが、要するに僕は、自己紹介が、嫌いなのだ。
 頭の中の整理が追いつかないうちに前の席の女子の自己紹介が終わった。息を大きく吸い込み、今の心境を悟られないように細心の注意を払いながら立ち上がった。
「如月中学校出身の犬島夕貴です。」
 僕の自己紹介の時に限って教室内の雑音が止んでいる気がした。
「中学時代は帰宅部でした。」
 よし、あと少し。
「一年間よろしく――」
 後ろの方から、女子同士の、話し声が耳に入った。
「ほら、あの人、坂のとこで――」
「ほんとだ。同じ教室だったんだ」
 まさに不意打ち。このタイミングでその話題は出さないでくれ。こっちは自己紹介だけで頭がいっぱいなんだ。
「お願いしまひゅ。」
 終わった。高校生活が。まさか最後の最後で噛むなんて。これから僕は噛む男という汚れた名を背負って三年間過ごすことになってしまったじゃないか。これだから自己紹介は大嫌いなんだ。
 放心状態。肺の中に残っていた息をふうっと吐き出し、重力に身を任せて席につく。
 茫然自失。出席番号三番からの自己紹介はほとんど頭に入ってこなかった。
 クラス全員の自己紹介を終えると、矢沢先生から校則の説明があったのが、それもほとんど聞き流しだった。左から聞こえてくる校則を右に受け流す。何年か前にそういうネタをやっていたお笑い芸人がいたような気もするが、今はどこに消えてしまったのだろう。僕のことも、そのお笑い芸人のように忘れられる日が来るのだろうか。
 自分の世界に浸っていた僕が半分ほどの正気を取り戻した頃、気がつくと全てが終わっていた。クラスに残っている僕以外の生徒は既に帰り支度を終えている。
 こんな日はさっさと家に帰って風呂にでも入ってゆっくりしよう。配られたプリントを鞄に無理矢理押し込むと、僕は教室を後にした。

 もちろん、このまま何事もなく帰れるとは思っていなかった。ええ、思っていませんでしたとも。そしてやはりと言うべきか、悪い予感というのは当たってしまうものだ。
 教室を出た僕は、トイレに寄って玄関に向かった。ここまでは何事も無かった。問題はここ、生徒用玄関で起こった。靴箱からスニーカーを取り出し、それに履き替えようとした僕の耳にあの声が聞こえたのだ。
「夕貴っ!」
 僕の名前を呼ぶ声だったが、何故か映画やテレビドラマで耳にする、地雷を踏んだときのカチッという音のように聞こえたのは気のせいではないと思う。
「待ってたんだよっ。一緒に帰ろ?」
 幼なじみと一緒に帰るなんて甘いシチュエーションはゲームやラノベの中だけで十分だ。こいつは幼なじみという名の土を被った地雷なのだから。
 もし間違った手順でこの地雷から足を離したら――死ぬ。
 今、この極限の状態で僕の頭がひねり出したこの地雷の解除方法は二つ。一つは何か用事があるふりをして断る。もう一つはマキの誘いに応じて一緒に帰る。彼女の性格からすると、前者を選んだ場合、今朝の登校時のような事態に陥るだろう。従って僕に残された生き残るための道は後者、つまり一緒に帰ることだ。生きるために僕はマキの半歩後ろ、いつかの時代の奥ゆかしい女性が主人について歩くくらいのポジションで後に続いた。
「そういえばさ、部活はするの?」
 何か話す話題はないものかと思案しているうちに、マキに先手をとられた。
「そうだな、中学の時みたいに帰宅部継続、かな。マキは決まってるのか?」
 てっきり、自己紹介のことで絡んでくると思ったのに。
「そっか。あたしは陸上部に決めてるんだ。やっぱ走り幅跳びはやめられないよ」
 何かに打ち込むのは素晴らしいことだ。それにしても、絡んでこないのは何故だ?
「やっぱりな。お前から陸上を取ったら何も残らないもんな」
 こちらから軽口で仕掛けてみる。というかそこまでして傷口を抉られたいのか、僕?
「そうかもね。あたしが打ち込めるのってこれくらいだし。夕貴の言うとおりだ」
 ちょっとこれは予想外の反応。中学時代のマキなら『そんなことないよっ!夕貴こそ部活くらい入ったらどうなの?まぁ自己紹介で噛むようじゃ、どの部活も相手にしてくれないと思うけどね』なんて身も蓋もないようなことを本気で言ってくるような奴だったのに。
 どんな言葉を続けていいか分からなくなった僕にはマキの後ろ姿を見つめることしかできなかった。
「じゃあ私はこっちだから。また明日。」
 それだけを言い残して、少し悲しげな笑顔を見せたマキは一人駅の方へ向かって行ってしまった。
 後になって知ったのだが、この時のマキは地雷なんて生やさしいものではなかったのだった。