あいねの日記1.5日目
場違いな思索はこれくらいにして、妥当な線で言えば、美弥子の周りにいた友人だろうか? 私と接する事を快く思わない輩は、それ相応にいるのだ。それでも、いつも見かける顔ぶれは、一通り音楽室に揃っていたように思えたのだが。私が見過ごしていただけなのだろうか? 何食わぬ顔で音楽室に合流した可能性を考える。
美弥子本人に問いただそうとも思ったが、これだけ強気に出て詰め寄って成果が得られないのだ。いまはそっとしておくべきかもしれない。後手に回るのは趣味ではないが、この場合ではそんな事も言っていられないだろう。
行動に移すにしてもどうにも材料に欠ける点が多い。出揃うまで様子を見るべきなのだろうか? そんな事をつらつらと思い浮かべつつ、半時も過ごしただろうか。
「……もう大丈夫だから」
「あ、うん」
「とにかくごめんなさい、今日はもう帰ります」
「一緒に帰ろうか?」
「平気」
「そう……。それじゃあ気をつけてね」
カバンを手に提げ駆けていく美弥子を見送る。私もいつまでもこうしても仕方ない。とりあえず刻んだと言う楽譜を、拝みにいくとするとしよう。
自分の教室に戻り自分の席を見ると、机の中にしまって置いたはずの楽譜が机の上に散らばっている。美弥子の言うとおりに楽譜は原形を留めぬほど切り刻まれていた。この楽譜には、美弥子の解釈やコメントが事細かく書き込まれてあったのだが。
それもいまは無残な姿を晒している。それでも出来る限りかき集めて紙封筒に仕舞う。こんな事もあったなぁと眺められる日が来る事を祈って……。
それから数日が過ぎた、私に対する嫌がらせと思えていた、もろもろがなぜかぱたりと途絶えたままだった。そして当の美弥子ともすれ違う毎日を送っている。
正確に言えば、美弥子に相手にしてもらえていないのだ。どうしても気になり、会いにも行ったのだが。一言も発する事もなく、私から逃げるように教室を出て行った。その後は私からも接触を避けている。
それだけではない、私には異変と思える出来事があった、陸上部の面々が頭を下げてきたのだ。それに音楽室に通うだけだった生活も変わった。美弥子はいないし見かける事もなくなったが、音楽室で顔を合わせる面々以外との会話が増えたのだ。ますますもって気持ち悪い。
あれから裏で糸を引く黒幕を引きずり出そうと画策していた私にとっては、毒気を抜かれたなんて言葉で表しきれない澱を残していた……。
半月も過ぎ、もうすぐ夏休みを目前としていた頃、相も変わらず美弥子との接触自体がないまま、時を無為に過ごす羽目に陥った。私自らが招いた愚策の結果と言えた。
これは美弥子が長期に渡り学校を休んでいるから、なんて理由ではない。依然と変わらず通っている。クラスメイトであろうと思われる友人と、談笑している姿も見かけている。
すれ違う事もある。が、それは私にとってあるだけだ。彼女の視界に私は映っていない様に映る。私との接触が途絶えた事と同様に、先生との繋がりもなくなっているように見えた。
そして私に対する次なる嫌がらせと言えば、美弥子を失った代償だと言わんばかりに、当たり前と思わせるような生活を否応なしに押し付けてくる事だった。
不思議な事に、いまの私の周りにはなぜか人が集まる。いままで壁を感じさせていた私の態度が軟化した事も大きな要因なのだろう。それはなにも音楽室だけではない、私のクラスにおいても皆と溶け込めている。
あの時なにも手を打たずに待ちを決め込んだ私の選択に、間違いがあったとでも言うのだろうか? 美弥子があの時なにをしたのかも、いまだに謎となったままだった。
さすがにこれだけ不自然な事が立て続けに起これば、のんびりと待ち構えているわけにもいかない。それでも先生をこのような形で頼る事は避けたかった。だが、このままとして過ごす事も、私にはひどく苦痛をもたらすのだ。
「先生、忙しいでしょうか? 相談したい事があるのですが」
「かまわないよ。ここ最近の君は塞ぎ込んでいたからおかしいとは思っていたけど、やっと打ち明けるつもりになれたのかな?」
話したい事など分かっていると言わんばかりの態度だ、内容すら見透かしているのだろう。
「すみません、心配していただいたようで」
「あらら、君は先生の教え子第一号でしょ? いまさらどの口がそんな事を言わせるの?」
「それなら、言葉に甘えて遠慮なく相談します。正確には相談と言うより、高田さんについて聞きたい事があるのですが」
「……高田?どのクラスのどの高田の事かな?」
なんだかあえてとぼけているような、含みをあえて持たせた受け答えにしか聞こえない。とぼけると言うよりも口裏を合わせて、事前に用意した芝居がかった受け答えと言うべきだろうか?
「先生、高田美弥子さんです。先生も、熱心に指導していたじゃありませんか?」
「あー、あの子ね。なんだか稽古事の師事を変わってね、先生の方針とは合わないって言われたから、それっきりになっちゃった。
そう言われてまででしゃばれるほど先生も厚かましくないから。それにあの子の授業を持っていたわけでもないし、そうすると接点もなくなっちゃってね。ま、彼女なら筋もいいから誰に就いてもうまくやるでしょうね。先生も残念だと思ったけどこればっかりはわがままも言えるものじゃないから。
だけど、君がいまさらそんな事、気にするのもおかしくない? 君にわざわざ言うほどの事じゃないけど、人には人の歩む道ってのがあるよね? 誰もがみんな仲良しごっこで同じ道を進んでるわけじゃないし。やりたくないのに一緒についてくる方が始末に終えないね。
彼女にもなにか考えがあって決めた事だろうから。本人が考えて決めた事に、私がどうこう言うのは筋違いと言うものなの。
ま、きちんと挨拶に来た事は褒めてあげるけど。さすがにそれくらいは最低限の礼儀ってものだしね。先生が言えるのはこれくらいかな。やっぱりわざわざ君に言うほどの事じゃなかったかな」
案の定と言うかなんと言うか、私に合わせるつもりで演技の質を落としているんだろうが、この方面に才能のなさを感じる。あまりのわざとらしさに辟易してしまう。
「今日はいつになく饒舌ですね」
私は私で、そう口にし先生の出方を待つだけとする。どうせ引き出せる情報は予め決定しているのだろうし、無駄にあがいても仕方ない。口を挟めば挟んだだけ襤褸が出るのはこちらと言うだけだろう。
「あら、たまたま機嫌のいい日って言うのもあるよ。先生だって機械のように同じ事、繰り返して同じ音色を奏でられるわけじゃないもの。君だって1日の色が同じだと思った事なんてないでよね? それと同じよ。きっと今日はたくさん音符がある日なんだろうね。
それよりももうすぐ夏休みよね、君はどう過ごすつもりなの? 先生はせっかくの機会だし羽を伸ばそうかなぁって考えてるんだ。学校の事なんて忘れて旅行でもしようかなぁって。あ、国外にいくのは難しいから国内で我慢するつもり。それでも海くらいは見たいかな、やっぱり夏と言えば海よね? 君は海と山ならどっちが好き? なんて想像力をたくましくしても現実があるのが世知辛いところね。
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite