あいねの日記1.5日目
結果だけを言うなら、2学年においての1年間の短い付き合いでしかなかった。いまでも手紙で細々とやり取りは続けているが、会う事などできないまま時だけが過ぎている。
先生もいろいろと思いなおす所もあったのだろう、学年が切り替わると同時に教職を離れて、再び国外に演奏者としての道を歩みだしたのだ。その成果と言うと、やはりヨーロッパと言う音楽の聖地で認められる事は並大抵の事ではないらしく。芳しい結果を聞けずに現在に至っている
話を当時に戻す、このままでは登場もしない美弥子が不憫でならない。
部活動を根としたいじめは、音楽室に通うようになって、なぜかよりいっそう強くなった。いじめの痕跡を疑った顧問の山口先生から問い詰められた腹いせだそうな。幽霊部員とは言え、部員としての籍は残っているのだから。
いまとなっては関係も薄い繋がりでしかないが、煩わしいだけならばと初夏から夏に移り変わる時期を迎えると同時に退部届けを出した。先生との約束どおり学業に励んでいた私は、進学を建前とし学業専念を理由として辞めたのだ。
この頃になると、私だけでなく川口先生の魅力に気付く者も増えていた。日頃からの先生らしからぬ態度は、同教員内からの受けはお世辞にも良いとは言えなかったが、生徒に関して言えばすこぶるよかった。
私は先生にピアノや語学の指導、本当にいろいろな教えを受けた。さすがに音楽を専攻しただけあって、声の質からして違うのだ。先生本人はこれを正確なドイツ語ではないと何度も念を押されたが、細かい差を気にしても仕方ない。どの道、正確なドイツ語とやらに接する機会もないのだ。
これも教わる過程で知ったのだが、先生の話す英語も米語ではなくイギリス語なのだそうだ。そして、私たちの教わっている教科書の英語は米語を基準としている事を知った。
話が逸れたが、こうやって特定の先生と親しくする事は、周りから良い評判を受けるものではない。少なくとも平等な環境で得られるものではないからだ。じゃあ、一緒に教わればいいだろうとも当時の私は思ったものだが、さすがにそんなに簡単な事ではないのだろう。ただの生徒一人が個人的に贔屓されていると言う事は、陸上部での悪評と合わせ、先生を独占される嫉妬から嫌がらせをよりエスカレートさせていた。
周囲に被害が出ないのなら、それでかまわないと言うのが私の本心であったし、それほど気にする事だと思えなかったのだが、当時は先生にずいぶん窘められた事を覚えている。
「周りのみんなともっと仲良くするべきだ」と。
「君が覚えようとしてる言葉と言うものは、誰かとより深く接していく手段なのに、人一倍熱心な君が孤独でどうするのだ」と。
そんな言葉もあって仲良くする事になった内の一人が、音楽室でよく顔を合わせていた美弥子である。
私と美弥子はピアノと言う共通の話題をもとに互いに仲を深めていく…。
暇を見つけては音楽室に通っていた私にとって、教室についで過ごす時間の長い場所となっていた。弊害として、職員室を訪れる回数も飛躍的に増えてしまう事になったのだが。
流石に音楽室を常時開放とは行かず、教室使用時以外は施錠する必要がある。そうなると、誰かしかが職員室で鍵を借りる羽目になる。と言うより、先生が不在であるなら滞在時間の長さからもほぼ私の役目になっていた。
生徒数からすれば、そこそこの人数となるのだが、音楽室を占有する部活動も存在しなかった。他校と見比べても合唱部なり吹奏楽部があってもおかしくは無いと思うのだが。あったとしても在籍する事は無いのだから、結果だけ見れば私にとってはいい事なのだろう。空き時間を占有できるのだから。
初めこそ職員一同の同意を得る事が難しく渋られたものの、月日が経つにつれ集う人数が増え同好会のような扱いとされ公認となっている。が、これ以上の高望みは難しかった。
私としては、在学中に部活動に昇格させたかったのだが、肝心の顧問が見つからないのでは話にならない。いまとなっては思い出の一つと思えるが、当時は残念で仕方なかった。先生の後任顧問が見つかればよかったのだが。
この集まりを暫定で音楽同好会と呼ぶ事にしよう。音楽同好会の成り立ちとしては、川口先生にいろんな事を教わろうと言う事を趣旨から始まっている。まあ、いろんな事にしていたのは私くらいのものだったが。だいたいは、音楽に多少の興味があり他の生徒とおしゃべりをしたいと言う程度だった。
以前からの親しみやすい先生だと評判があり、授業以外でも比較的自由に相手にしてもらえるらしいという噂は、思ったよりも早く広まった。間違いなく先生と私のやりとりを見ての噂だろう。
初めてであれば敷居を感じるが、既に前例があるのならあやかろうと思うものは、私が思っているよりも多かったと言う事だろう。
基本的にはいずれかの部活動に籍を置く事を建前としているが、私のように外れてしまうものも少なくない。実際にありはしないが、帰宅部と俗に言われるものに数えられる生徒は思ったより多いのだ。
入学時に入部しなければいけない事になっているが、抜ける事自体に関しては緩いのである。極小数は自分なりの目的のために退部するのだろうが、大多数はなんとなく辞めてしまうものだ。そうなれば暇をもてあます事は、火を見るより明らかである。
そんな暇をもてあますもの同士が過ごす場所として、格好の場所と言えたのだろう。
そう言えば美弥子との馴れ初めの話をしていたのだった。美弥子とは学年は一緒だがクラスが違い、それまで直接的な縁はなかった。当時の他人の風評に関心を持たない私にとっては、同じクラスでもなければ他人も同然と言えた。
そんな私が、美弥子と仲を深めるに至るのは、音楽室での交流に他ならない。
美弥子は見た目が示す印象を裏切らない、穏やかでおしとやかな性格に見える。背まで届く緩やかな曲線を描く黒髪も印象に一役買っていると言えるだろう。たまに感情に任せて振舞ったりするがそれも愛嬌と呼べる範疇で済ませてしまえる。
踏み入って聞いたわけでもないが、耳にした風聞をまとめるとどうやら家も代々の地主のような家柄らしい。田舎町という事を差し引いても、世間的にお嬢様と呼んでも差し支えないのだろう。
ピアノも嗜みの一環として習っていたようだ。その腕も、私と比べるべくもなくうまかった。元から素質のある子なのだろう。私が教室を辞めてからのブランク云々ではなく、先生も美弥子の素質を認めていたのだからこれは確かだ。
先生は美弥子の習い事での師と衝突する事のないよう、アドバイスをしつつ課題を出していた。教職よりも習い事の師事するほうが向いているのではないかと思わせたほどだ。いまでも美弥子の演奏を耳にすると思い出す。先生の奏でる音色を……。美弥子の指には、先生の息吹が受け継がれているのだ。
美弥子が初めて音楽室を訪れたきっかけは友達の付き添いだったと記憶している。率先して新しいコミュニティ活動に参加しようとする性格でもない事を踏まえれば、妥当な理由と言える。主体性の乏しさを映すかのように、頼まれ事を断りきれないのは当時から相変わらずである。
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite