小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

あいねの日記1.5日目

INDEX|3ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 それから程なくして顔を合わせたくないと言う理由から、陸上部内で幽霊部員のような存在になっていた。それを誰が履き違えたのかは知らないが、部内が気に食わなかったと言う理由にされてしまい、回りから中傷を受けるようになったのだ。
 私自体はその事を気にするような性格ではないし、いじめと言っても悪質と呼べるものでもない軽い嫌がらせ程度の行為だった。
 面倒に感じた私が、部活動から更なる距離を置く事になるのも必然と言えただろう。


 そうして過ごす日々の中で、私はとある先生と出会う。
 実際に授業を受けた事は無かった。一学期の始業式に壇上で紹介された、新任の音楽教師と言う認識でしかない。
 確か紹介の時もたいした説明は無かったはずだ。接点が無いのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、先生の経歴も一切知らなかった。だがその経歴には、私の求めた夢が、はち切れんばかりの金銀財宝を詰め込んだ宝箱のように詰まっていたのだ。

 私と先生との馴れ初めは、たまたま鍵の閉まっていなかった音楽室から始まった。その日もいつものように、昼休み時間の暇を紛らわせるためにふらついていた。日頃からクラスでは浮いた存在の私にとって、溶け込めない教室ほど時間を持て余す場所は無い。
 たまたま向かった先が音楽室だったと言うだけ。いつもであれば戸締りがされており開くはずもないのだが、今日に限っては鍵どころか扉自体に隙間があるのだ。それを目にした私は誘われるように音楽室に入って行った。
 これがせめて夜ならば怪談話として話が広がり、そう期待されるのだろう。だが雲ひとつない晴天であり、差し込む光は春の木漏れ日を祝うような光の瞬く暖かさが包みこむ世界なのだ。いくらなんでもこれでは怪談話として成立しないだろう。もし知っているのなら私が聞かせてほしいくらいだ。きっと私が思いつかないような大胆で破天荒な構想なのだろうから。

 脱線もほどほどにして話を元に戻すとしよう。
 私のピアノの腕は人前で披露できるほどではないが、幼い頃から習っていた事もあり、まったく弾けないわけでもない。その時もせっかくの機会なのだから、気晴らしに弾いてみる事にした。
 これも知らなかった事だが、本来であれば鍵盤蓋にも鍵がかかっているのだそうな。そんな事を知らない私は蓋を開け、軽く左から右に指を流す。きちんと調律された心地よい音が返ってくる。

 いまでもよく思うのだが、ほとんど弾かれる事もないのに、学校と言う場所には必ずと言っていいほど、当然のようにグランドピアノが置かれているのだろう? 購入してしまいさえすれば維持費がそう変わるわけではないにしても、破格の額である事には違いない。
 私の初歩的な知識でも、グランドは必要ないと知っている。アップライトで十分代用可能ではないだろうか。才能のある子なら小学生でも、グランドでなければ対応できない曲を弾ける者も数多くいると聞く。だがそれはピアノを幼い頃から習っている者の中でも、一握りの者だけだ。たかが学校内での授業であれば、アップライトで十分だと思うのだが。

 そんな事をぼんやりと考えながら、思うままに楽譜もないまま弾いていく。もともとそれほどの腕もない私が弾いていて、しかも楽譜もないときている。贔屓目に見ても、まともに弾けているなんて言えるわけも無い。そのまま終わるのもなんとなく格好悪い気がして、さもこうやって終わるのだと言わんばかりに指を滑らせ演奏を終える。
 ところが終わってみれば、どこからともなくお世辞と言わんばかりの拍手が送られてくるではないか。慌てて振り向く私の視界には、音楽の教師であろう人物が近づいてくる。
「気が済んだかしら? ほんとなら叱らなければいけないところだけど、私の管理も甘かったようだしそこまで強く言えないよね。職員室にいても気疲れしちゃうし、昼休みくらいここでのんびり過ごそう思ってたんだけどな」
 なんて半ば寝ぼけた様子であくびまでしている。私と言えば、叱られるよりなにより、先ほどの演奏を聴かれていたと気づいた事で、それどころではなくなっていた。見せなくていい恥をさらしてしまった、なんて間が悪いのだろうと。
「あなたもピアノを習っていたようだけれどずいぶん錆付いているよね、サボってばかりじゃ音楽とは向き合えないよ。付け加えるなら、暗譜も出来ていないのに譜面なし。それを隠すためなのか知らないけど、勝手に付け足したりなくしちゃったり。自己流のアレンジもほどほどにしないとせっかくの曲も台無しよね」
 容赦のない物言いに唖然とする。そう言われても、私はピアノ教室自体を小学校の卒業と同時に辞めてしまっている。そんな私にうまく弾けと言う方が酷と言うものだ。
「でもまあ、けなしてばかりと言うのも先生にあるまじき行為ね。んー、あなたの弾き方は嫌いじゃないよ。自由に鍵盤を跳ね回るその姿には見惚れるものがあったもの。けど、跳ね回った鍵盤の奏でる音に魅力があったとは言えないかなぁ」
 いいように言ってくれる、なによりけっきょくけなされているのは気のせいだろうか。
「弾こうとしていた元の曲はブラームスのラプソディかしら? そこまで弾けるくらい通ったのなら、もう少し続けてみればよかったのにね。その辺りから弾ける曲も増えて面白くなるものなのよ? まあ、挫折した私が言っても説得力なんてないかな」
 あはは、なんて私に向かって笑ってみせる。だいたいあれだけ言っておいて、いまさら「説得力がない」の一言で済ませてしまうのはどうなのだろう。
「じゃあ、お返しに私もなにか弾いてあげようかな。なにか希望とかあるかな?」
「モーツァルトがいいです」
 これまで口を開かなかった私が始めて言葉にする。腹いせにこの教師を試してやろうと思ったのだ。
「じゃあ、ピアノソナタ11番かなぁ。トルコ行進曲って有名だもんね」
「11番じゃなくて13番がいいです。13番の3楽章弾いてください」
「いきなりの初対面なのにいろいろ注文してくるのね。だいたい、13番ってさっきのブラームスじゃ釣り合わないわよ? けどまあ、いいわ。いまは、気分もいいし弾いてあげようかな」
 あれだけずうずしく並べておいて、私だけを責めるのはおかしいと思うのは気のせいだろうか? お互い様と言うものである。
「楽譜も見ないで弾けるの?」
 椅子の調整を済ませ、座るなり鍵の感触を確かめている。譜面を持ってくる素振りは微塵も無い。
「んー、そりゃまあモーツァルトは好きだからねぇ。どれだけ弾いたかわからないよ。それじゃあ川口先生によるリサイタル開幕ね。はい拍手〜」

 聞いた感想と言えば……。
 グランドピアノは必要です。私が間違っていました。初心者レベルの私でも、この曲が相当に難しい事は知っている。なんの前振りも無く、いきなり弾き始めて弾ける曲じゃない。どれほどうまいのだろうこの人は。奏でる音色が室内を満たしていく。流れるような旋律と共に空気を構成する因子一つ一つを再構成していくようだ。私が耳にしていた曲とは少し違ってテンポが変わっているけど、私の習った先生よりもずっとずっと綺麗な音色だった。
「はい、おしまいね。どうだった? 先生もまだまだいけるでしょ。」
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite