あいねの日記1.5日目
私とて見古されたようなフランス映画を、好んで観ているわけではないのだ。テレビ以外の教材は洋書の類しかない。そうかと言ってその洋書も簡単に手に入るものではないのだ。個人で手にするには手が届きにくいものだし、そのような蔵書がある図書館も非常に稀なのだから。他にないのであれば見るしかないのだ。
せっかくの機会だし、昔話の一つでも披露しておこう。
私こと藤倉藍音は、幼い頃から外国語に興味を示していたようだ。とは言うがこの当時であれば外国語=(イコール)英語と相場は決まっている。物心付く頃には日本語よりも英語に関心を示していたと記憶している。母も思い出話をするたびに言うのだから間違いないだろう。
周囲で英語を話せる人なんて誰一人としていないのにも関わらず、子供心に言葉として流通していると言う事が不思議に思えて仕方なかった。この言葉は、きっと私の住む世界とは違うなにかとの接点を作るのだと信じていた。
ここで言う世界とは、幻想上の世界を指す。砕けて言うとすれば、おとぎの国の言葉が妥当なところだろう。いまから考えれば子供の考えだと笑って済ませるだけの事なのだが、それでも当時の私は本気で信じていたのだ。妖精や幽霊よりも、より近い英語圏を異世界だと信じたのだ。
幼少期を過ごしていく過程で、英語圏は実在するのだと言う確信を得る。もちろん私がそれまで抱えていた幻想世界ではない。実世界における世界の一部だとと理解しつつ。
両親にとって、そんな私は相当厄介な存在だったようだ。手がかかると口癖のように言われ続けている妹と比べたとしても。
一般的な日本人にとって、英語とはカタカナとしてしか普及していない存在なのだ。よくて名詞の類で接点を持つ程度だろう。いきなり英単語の綴りをアルファベットで書けと言われても戸惑う人の方が多いのではないだろうか? そんな英語を妄信する子供に、さぞかし手を焼いたろう。
父は早々に諦めたそうだ。父にあれこれ指図された事自体、記憶の引き出しを漁っても数えるほどしかない。
だがよく言えば世話焼き、言葉を飾らないのならお節介な母は、常に身近にいる私に別の道を示そうとした。
初めは子供の始めた事だし、すぐに飽きるだろうとおもしろ半分で付き合っていたようだったが。だとしても、いつまで経っても変わらないのなら、話は違ってくる。相手もいないのに理解の及ばない言葉で話そうとするのだから、それは奇妙な事でしかない。いまになって思えば、母の気持ちもわからなくもない。
母は、ピアノと言う音楽の世界を示してくれた。母の思惑とは裏腹に、音楽も他言語との接点を増やす材料でしかなかったのは、大きな誤算であったろう。音楽を通じ、英語以外にもたくさんの言葉がある事を知った。フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語……。たくさんの言葉が同じ意味を持つ事も不思議であった。
当時もいまもそれほど変わらないが、音楽と言う世界で日本などは基準に足りはしないのだ。私の知らない世界に住まう人々が残した遺産。歌の響きを知れば歌詞の意味を知りたくなり、意味を知ればそれだけ言葉の広がりを増す。
小学校を卒業する頃には、母も諦めの色を濃くしていた。濃くしたと言うのは、語弊があるかもしれない。実害が無いと判断するようになった、と言えるだろう。
ましてや、中学からは英語と言う科目も増えるのだ。成績向上に繋がるのだから、無理に辞めさせる理由も無くなったのだろう。それに見ず知らずの相手に、学んだ他言語を使うような真似は流石にしなくなっていた。
言語を深く理解すると言う認識力の高さから、日本語においても文章を汲み取る力は飛躍的に高める事に繋がる。文章読解力の向上は、学問の向上に繋がるのだ。
私にとって、大きく世界の認識が変わったのは、英語と言う授業が始まった中学からになる。なにを今更と思われてもおかしくないが、それまでは目の前で実際に話す人を目にした事が無かった。
それはいつもテレビの中であり、いつも書物の中であり、いつもラジオであり、全てがメディアを通したものばかりだった。なのに目の前のなんの変哲も無い日本人が、不快と思えるような声でたどたどしく教科書の文字を読み上げていく……。
その時、私には深い失望が広がった。これは異世界とを繋ぐ言語ではなかったのだと。これは英語と言う皮を被った、ただの暗号なのだ、その暗号を読み解く事を競うゲームだったのだと。それまで私が当たり前のように信じてきた世界が、脆く砕け去った。
あのピアノの演奏にあわせた流麗な歌声も、あの流暢に歌うように流れてきた映画の登場人物の声も、上手い下手の差はあれ、結局は目の前にいる教師のような偽者が演じていただけなのだと。
英語も独語も仏語も、みんなみんな周りの大人たちが作った夢だったのだと。それはまるで、サンタクロースが自分の父親だと気づいた時の様な思いだろう。
せめて、英語担任がもっと流暢な語り口調であれば、私はしばらく騙されたままでいられたかもしれない。だが、気付いてしまった私は新たなる目標を見つけるしかなかった。見つけると言うよりも、新たに自分の中に求める物を探すしかないのだと悟った。
深い考えがあったわけでもなく、当面の目標として看護師を目指そうと思った。手近な目標としては女の子の定番である。なんだかんだで女の子の憧れの職業を選ぶあたりは、歳相応なのかもしれない。
そしてその時に、こうも誓った。教師にだけはならないと……。私が受けたような、夢を壊す仕打ちはしてはいけないと。
夢を見失いはしたが、私は成績として目に見えて下がる事は無かった。むしろ向上に繋がったのだ。私のどう見ても役に立たないであろう他言語への興味が、身近な勉学に向いたからだ。
そして美弥子と出会ったのもその頃だった。当時を思い起こしても美弥子と私の出会いは、良かったと一言で済ませられるものではないのかもしれないが……。
当時も熱心に打ち込むわけでもなかったが、同じように陸上部に籍を置いていた。走っている間は無心になれる、それはとても開放感がある事だと思えたからだ。
学年も変わり中学生の生活にも慣れ、自分なりの道を模索し始めた頃、部活顧問の交代があった。
顧問が変わった事は、周りの者には喜びの色を濃くさせる朗報であったが、私にとっては落胆に繋がる要因でしかなかった。
繰り返しになってしまうが、私は教師と言う職に好感を持っていない。英語教師には敵意に近い感情を持っている。その敵意を向けるべき人物が、なにをどうしたのか陸上部の顧問に就いたのだから。
周りからの評判は悪くない、他の教師と比べると歳も若く、生徒にも裏表の無い態度。そしてルックスのよさ。
だがしかし、私にとって英語教師と言うだけで、天敵である事はなんら変わりはない。他の生徒から人望があろうが人気があろうが、そんな事は関係なかった。合わないものは合わない、きっと水と油のようなものだと。そもそも私を英語不信に貶めた当の本人なのだから。
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite