あいねの日記1.5日目
音楽留学なんて言うと、限られたエリートのみに与えられる道だと思われているが、実際にはそうでもないらしい。お金と意思があれば誰でも出来る事なんだそうな。ま、私には金銭的にどうあがいても望めない事なのだが。
確かに言われてみれば両親の仕事の都合で海外に引っ越す事もあるのだ。才能の必要は確かにないのだろう。
もちろん留学する本人の実力が高ければ高いほど、注ぎ込んだ努力が多ければ多いほど、あちらで学べる事も比例して見返りも大きくなるそうだが。
それと美弥子の行動の真相だが、当時の美弥子は私に対してずいぶんと気に病んでいたようだ。いまも昔も変わらぬおせっかい焼きである。
私に対する嫌がらせを、私自身気にしてなどいないのに。美弥子にとっては見て見ぬ振りをする事はつらかったのだろう。見かけによらず正義感が強いのかもしれない。
美弥子なりに考え、独断で嫌がらせの首謀者の役を買って出たのだ。後先考えない性格と言うかなんと言うか。本当に無計画な行き当たりばったりの行動だったらしい。私にここまで言わせるのだから、これはかなりの重症だろう。
あらかじめ、生活指導主任宛に匿名で私に対する嫌がらせの情報を与え。待ち構えている事を確認しつつ、楽譜を刻んだと言うのが事の顛末だ。
元は自分の物だった事もあり、勢いでそこまでしたそうだが。この事を知った私は、美弥子を本気にさせるととても怖いと悟ったものだ。
先生が知ったのは事が起こってしまったあとだった事もあり、庇うにも庇えない状況に既に至っていたようだ。どうして私の教え子は事を起こす前に相談と言う物をしないのだろうと、しきりに寂しがっていた。
どこまで考えていたのか判らないが、事が公に出なくて本当によかった。ともかく、美弥子の狙い通りに私への嫌がらせは止まったのだ。それどころか、私に友人ができると言うおまけまでついていた。美弥子としては満足だったのだろう。
美弥子が白い目で蔑まれながら、学校を去ると言う点を除けば。事が公にされていても似たような結果には落ち着いたのだろう。美弥子の誤算は、泣き顔を見られてしまった事くらいではないだろうか?
蛇足である事は間違いないが、見なかった事を仮定して、少し推論してみよう。
次の日登校した私は刻まれた楽譜を見つける事になる。美弥子になんて謝るべきだろうと途方にくれるに違いない。美弥子に会いに教室にいくが避けられる。
結果論になるが、美弥子は犯人なのだ。私と接点がなくなる事は、美弥子自身にも都合がよかったに違いない。
音楽室にも来ないのだ。きっと私のそばにいる事で嫌がらせを受け離れたのだろうと、私ならそう察するであろう。
音楽室で友人が増える事を疑う事も難しいだろう。過ごす時間が増えて気が合えば人の接点と言うものは増えるものだ。
陸上部の面々の、豹変した平謝りについても、教師陣がいじめの原因解明に乗り出したと決め付けてしまえば疑わないだろう。わざわざ山口と話してまで真相を知ろうとはしないだろうし。
やはり美弥子に結び付けるには少し難しいかもしれない。美弥子はもともと内気で気の弱い性格に見られる。離れたとしてもなんとでも理由をつけてしまえる。
美弥子がいじめに対する主犯格だと聞かされない限りは。そうかと言ってそんな事を耳にする機会があるかというと難しい。
そして気付けばさようなら。我が親友ながら非の付け所もない手際である。繰り返すが彼女を侮ってはいけない。
さて、最後の謎を語るとしよう。
別れてから再会に至る経緯の方を。一言で言うと、私たちが別れたあとも先生が一方通行の橋渡しをしていたのだ。お互いに接点は持たなかったが、私の事は先生を通して美弥子には筒抜けだったそうだ。まったく不公平な話である。
以前にも話したと思うが、私が最上級生になると同時に先生は去っていった。再び夢を追うためにウィーンに戻ったのだ。それでも、先生とのやり取りは続いていた。それはいまでも続いている。
この前届いた手紙にも『気にせず遊びにいらっしゃいと』なんて書いてあったが、どこまで本当でどこまでが冗談なのか答えに困る内容である。
一介の高校生にして庶民である私には、難しいだけの注文でしかない。どこの世界にオーストリーまでちょっと行ってきます、なんて言える人がいるのかと。往復の飛行機代を考えるだけでもぞっとしないものがある。
いまだかつて国外に出た事すらないのだ。パスポートすら持っていない、そんな私にいったいどうしろと言うのだろう。
私とのやり取りは手紙だったが、向こうで過ごしていた時期の美弥子とは交流が深いようだった。同じウィーンと言っても広いのだろうが、それでも日本からオーストリアと比べたら雲泥の差である。聞けばお互い徒歩で通える場所に居を構えていたそうだから、尚の事交流は深くなると言うものだろう。
そう言う経緯を経て私の進学先を知ったらしい。美弥子はそのままオーストリーに残ると言う選択肢もあったようだが、高校入学を機に戻る事で落ち着いたようだ。
両親としても長々と手元から離す事を望んでいたわけではないのだ。実際、美弥子に類稀なる才能があったとしても、演奏者としての道は歩ませるつもりなど毛頭ないだろう。
美弥子の事もそうだが私についてもう少し語っておこう。
先生のいなくなってしまった学校では、独語もピアノも縁遠いものとなってしまっていた。ピアノを習うと言う事はお金がかかるのだ。独語に関してもそれは言える。英語ですら教材には事欠くのだ。中学生レベルでどうにかなる額ではない。
そうなるとこれと言った興味の向く事もなくなっていた私ができる事と言えば、将来に向けての勉強くらいのものだ。進学先に関しても私なりに考えはしたが、選べるところなどたかが知れているのである。
名だたる私立校などありはしない田舎町だ。あったとしてもその差額分を海外旅行にでも充てたい。そうなると、公立の中で通える範囲の中で選ぶ事になる。准看護師と言う選択もなくはないが、通える範囲ではないし、将来的な観点においても考えさせられる点が多々あった。
ここで悩むのは進学先のランクを低く設定し、内申や成績でトップクラスを維持し大学などの推薦枠を得る。なんて方法もあるが当てが外れると痛いだろう。素直にランクの高い進学校に通いその後、奨学金などを当てに進学するべきかもしれない。
ここまで話していると私の家の内情を貧窮に喘いでいるように取られてもおかしくないが、それではあまりにも両親がかわいそうだ。釈明しておくと、さすがにそこまではひどくはない。これは私のわがままと言う意識が大きいのだ。
私と両親は親子と言う関係にはあるがやはり他人である。こう言ってしまうと身も蓋もないのだが、両親は現状の私に期待していない。むしろ私の理想が高すぎるのだろう。両親にとっては、今現在で満足している節があるにもかかわらず。
それなのに私の理想を叶える為にその分の余計な苦労を押し付けてしまうのは躊躇われるのだ。当時の私を省みても独りよがりが過ぎると反省はするのだが、結果として私になりに悩んだ末に最寄りの進学校を受験しようと思い至る。
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite