あいねの日記1.5日目
「ごめんなさい、もうすぐ夕食だから」
「どうしてもダメかな?」
押し黙る二人の間にひぐらしの声だけが響く……。
私は駆け引きがしたいわけじゃない。ただ美弥子と話しをしたいのだ。私の導き出した真相に揺らぎはない。いまさら問いただす事など無意味なのだ。
「また今度じゃダメかな?」
ここで引き下がったら終わりだと思う。その話の切り出し方は次回はないと言うようなものだ。
私にも藤倉藍音としての、意地もプライドもある。私自身ですら価値を感じないほど安いプライドなど持つ必要すらない。
「私ね、高田さんがなにをしてなにをするつもりなのか知ってるよ。そして、どう思っているかもだいたい把握できたんじゃないかと思う。だからこそ話しをしたいの。うんん、話をしておきたいの」
届いてほしい……。私の認めた人なら届くと信じている。
「分かったよ……。ちょっと出てくるって伝えてくるね」
ほっと息をなでおろす。それとは裏腹に、美弥子の表情はひどく曇ったものだった。
程なくして戻ってきた美弥子と、自転車を押しながら連れ立って歩く。日ごろ訪れる事などないのだ、地理に詳しいわけもない。どこになにがあるのか知らないし、どこへ向かうあてもない。
互いに無言のまま歩くだけ。からからと音を立てる自転車の音がやけに耳に響く。
そうこうするうちに河川敷のグラウンドにたどり着いた。いつまでも歩く必要もないだろうし、ここなら適当だろう。
「ね? 転校するってどうにもならないの?」
立ち止まり話しかける。
「うん……」
美弥子の家を見た限り、引っ越すと言うのはどうにも考えにくい。両親の仕事の都合と言うわけでもないと思うのだが。なんらかの事情があるのだろう。
まだ日が落ちたわけでもないのに辺りに人影はない。隅にあったベンチに腰を下ろす。
「高田さんも座ったら?」
「……そだね」
「そんなに怖がらないでほしいかな。さっきも言ったように、だいたいの事は分かっているつもり。問いただしたりするつもりなんてないの」
「そっかぁ、ばれないようにしたんだけどな。残念かな……」
「私からこうやって話さなかったら、なにも言わずにいなくなってしまうつもりだったの?」
口調がきつくならないように細心の注意を払う。
「うん……」
「それは寂しいよ、せっかく仲良くなれたんだもん」
「仲良くなんてない、絶交したんだから」
言葉を選んでいたはずなのに、私の一言で、奥底に潜んでいた火種に再び火を灯してしまった。私がいまさらいくら冷静を装っても、美弥子が取り乱しているのでは話し合いなど望めなくなってしまう。どうにかして宥めるしかないのだろう。
「大丈夫、高田さんが一方的に絶交したと思っているだけだから。私は了承したつもりなんてぜんぜんないよ。冗談って言ってくれれば、それで消えちゃう程度の事だから」
「言えないよ、そんな事……。私が同じ事言われたら、死んじゃいたいくらいだから」
「じゃあ、私はずっと死んじゃいたい思いをなくせないんだ……。ずっと思い続けなくちゃいけないんだね」
「そ……、それは」
やはり説得する事は、出来ないのかもしれない。もともとそこまで望んではいないのだ。私は伝えるべき事だけを伝える事にする。
「じゃあ、私から勝手に話すね。まずはごめんなさい」
いきなりなにを謝られたのか分からないのだろう。
「けっきょくどうにも出来なかったみたい。それどころかなにもせずに放っておいたんだもの、こうなっちゃうのも仕方ないよね。高田さんがそうやって苦しんでる間、私はのうのうと状況を眺めていただけ。
だからごめんなさい。
私みたいなのと友達でいてほしいなんて言われたって困っちゃうよね。それとね……。
高田さんがくれた置き土産は、ほんとにいい迷惑だったよ。返せるものならこの場で返したいくらいに。今まであったものに比べたら全然釣り合わないよ……。できるなら支払った代償を取り返したいよ。
でもね、そのおかげで大切な事に気付けたかな。私にとってはいい薬になったと思うよ。
だからありがとう。
いなくなってしまう前にほんとうに言えてよかったよ。それだけです…」
夕焼けに夜の帳が落ちるのを、眺めながらそう言葉を紡いだ。川のせせらぎと虫の声が忙しなく歌い奏で続ける。
「気が済んだら帰ってかまわないから。私はもうちょっとここにいるつもりだけどね」
そのまま黙って空を見続ける……。少しはやり返せたのだろうか?
これが精一杯だったのだ、悔いはない。いつか思い出した時笑えればいい。
「大切な事って?」
「私にも親友がいたんだって」
「そっか…」
日も落ち辺りもだいぶ暗くなってしまったようだ。それだけの時間がいつの間にか経っていたのだろう
「それじゃあ、もういくね」
「うん」
それが美弥子との別れだった。
それから夏休みまでの残り少ない期日を過ごし夏休みを迎えた……。
その日を境に変わった事など数えるほどだろう。美弥子を学校で見かける事がなくなった。
それと陸上部のあの子と顔を会わせると、妙に引きつった表情を浮かべるくらい。申し訳ないとは思うがトラウマになってしまったようだ。次はもう少し手を抜くとしよう。
それでも私の内面はずいぶん変わったようだった。私はそれまでのように孤立する事もなく周囲に溶け込み、私自身も周囲のために動くようになったのだから。
美弥子と別れたと言った私の隣に、なんで美弥子がいる不思議に思う人もいるだろう。それもずっと一緒に過ごしてきた友人のように。
全てを語っては面白みに欠けるとは思うのだが、話は起承転結があって成り立つものだ。最近は起承転で後は相手任せと言う手法も目立つようだが、やはりそれではまとまりに欠けるというものだ。もっと言えば、承のみでだらだら続くよりかはましなのだから、贅沢と言えるかもしれない。
それでも後日談と言う事で付け加えるとしよう。
あの後しばらく、先生にはなにも告げなかった。それでもあの性格だ、痺れを切らしたのだろう。
夏休みが終わった時にと言う約束どおりと言うのもおかしいが、その言葉どおりに2学期が始まる頃に事のあらましを説明してくれた。
私は約束を破って動いたのだからやはりおかしい事だろう。こうやって話す事も、先生の自由って言わなかった?とやり込められてしまった。私の事など全てお見通しと言わんばかりだ。こんな私にも先生を見返せる日が来るのだろうか?
先生の話してくれただいたいのあらましは、私の予想を外れる事はなかった。
付け加えるのなら、美弥子は夏休みを迎えると同時に、オーストリーに留学したのだそうだ。先生と違い演奏者を目指すわけではなく。両親の希望として、箔付けの意味合いが強いそうだが。
確かにピアノを専攻するために、海外に留学した経験があると言えば、周りにも鼻も高いだろう。美弥子の留学の相談に乗ったのはもちろん先生だった。まだあちらに伝も残っているのだろう。美弥子の両親も大いに賛同し軽い冗談から、話はあれよあれよという間にとんとん拍子で進み気付けば決まっていたそうだ。
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite