あいねの日記1.5日目
美弥子はなんらかの理由で私の楽譜を刻むような真似をする必要があったのだ。この事に関して、裏で暗躍する人物をいまだに特定出来ていない。その事は美弥子を絶望に立たせるほど深い悲しみに追い込むほどの事だった。あの時の美弥子はとても演技なんてものには見えなかった。
そして私に対しての平謝りを続けていた事。そして私と決別する事を既に心に決めていた節があった事。その次の日からの徹底した無視の態度には、なんらかの拘束力を持つやり取りがあったと推測できる。
それは私への嫌がらせを止める効力を持ち、私に友人を引き戻す活路も提供した。それには先生たちも噛んでいる。どう言う形なのか特定できないが、山口が言っていた事が気になる。
美弥子がそそのかしたと言った。加えて言えば私が嫌がらせを受けていた事も承知していたようだった。推理と呼ぶにはあまりにもピースが欠けている。
正直今回の調査で分かった事などは、先生が噛んでいると言う事実だけだろう。他には、この子たちを呼び戻すきっかけが川口先生にあったと推論は出来るが、確証は得られていない。
駒も足りないし私が動くだけではどうにも行動の範囲が狭いと言うのが正直なところだろう。かと言っておおっぴらに動いてしまえば、その事を悟られて隠蔽されかねない。
難しい局面ではあるが少なくとも現状では、持ち時間を考えなければ大きなミスもなく、駒の移動はしていないと言うのが救いだろうか。私ともあろうものがこの程度の事で壁を感じるとは、ほんとに情けないものだ。しかし、私が考えていたような甘い推論ではなかったようだ。
陸上部が暗躍しそれに巻き込まれた美弥子。当然それを隠蔽し私の耳に入らぬように妨害工作をする。大きく外れた推論ではないと思ったのだが、肝心の陸上部がああでは繋がりはないと見て間違いないのだろう。
音楽室関連でも、事件との大きな関連性はいまだ持てないままだ。この子たちに裏があるとしても、こうまでうまく隠しとおせるものなのだろうか? 取り留めて演技に秀でているようには見えない。だいたい私みたいなやつがごろごろしていたらそれこそ嫌だ。
仮になんらかの手段で手駒を得たとしても、調べさせた結果は限りなく白に近いのであろう。
話の筋道としてならば、どんな事を先生から聞かされたのか予想は出来る範囲にある。『ちょっと耳にしたんだけど。藤倉さんを仲間はずれにしてるって事だけど。あなたたちそれは本当なの? 本当だとしたら先生も黙って見てるわけにはいかないんだけど』
とか言われれば、この状況も不思議ではない。
陸上部においても、嫌な事だが山口が同様の手段を取ったのだから。こちらに適用する事は的外れではあるまい。逆に言えば、この件には美弥子以外の生徒は関わっていない事になる。
本当にそうなのだろうか? 美弥子が私に嫌がらせをした主犯格……。教師の目の付く場所で、私の楽譜をあえて刻んだのだろう。
まあ、どちらにしても主犯格だと思い込むような真似をして見せたのだろう。陸上部や音楽室での現状も、そのような細工を施した事が前提となっている。それに慌てた教師たちは、なんらかの法規的な排他的手段を取る。それと連動して私に陸上部、音楽室の両サイドからの復旧を図る。
それでは、美弥子は今後どうなるのだろうか? 先生は、夏休み中に事は済むと言っていた。退学にでもなると言うのだろうか? そんな馬鹿らしい。
だが、確証がないだけでもっともらしい推論を導けてしまう。そうなると今後の方針は、調査を進め、足らないピースを埋めていく。それともこのまま推論を信じ、美弥子を説き伏せてみるか?
もしくは最悪の手だが、山口なり川口先生を説き伏せ撤回させるか? だがあの口ぶりではどう見ても川口先生は事の真相に気付いていて、なお美弥子に悪役を演じさせ続けている。そしてその二重苦に悩んでいるように見える。
どうするつもり、藤倉藍音?
「やっぱり心配ですわよね…」
「ええ、いままで仲良くしていたから。突然こんな風になるなんてわかっていたら……」
半ば本心と言える本音を吐露する。
「そう落ち込まないでください私たちも力になれればよいのですが」
「みんな、どうもありがとう。だいじょうぶ、つらいのは私だけじゃないものね。それじゃあ先生も戻ってくる様子もないから、職員室の方を見にいってくるね。また明日です」
「いってらっしゃい」
「また明日ね」
「さよなら、またね」
どうしたものだろうか? 私にしては褒めるべきだろう、手詰まりまで2時間も使っていないのだから。そうは言うがけっきょく手詰まりと言うのでは、ここにかけた1時間程度などすべて無駄なのだ。これ以上似たような調査をしても、進展は望めないだろう。
そうなると、山口と言う選択を選ぶ事になるのだが。生理的に選びたくないのだ。英語教師嫌悪症の発端なのだから……。だいたい、授業の英語の意味がいまだに私には分からないのだ。説明している事が理解できないと言うのではない。あんな重箱の隅を突付く様な真似をして、いったいなにをさせたいのだろうか。
それに、テストに出題される問題も、英語を理解している身としてはわざわざテストをされる意味が分からない。
逆に英語に疎い者では、それのみを覚えたとしてもやはり意味がないと思うのだ。文法構成なんて言うものは、より深いレベルでのやり取りがあって初めて必要となるのだ。初歩すら出来ない者が学んで、なんの意味があると言うのだろう? などと私がくどくどと並べても、世界が変わるわけではないのだが。
そうこうするうちに、職員室の目の前に立っていた。見渡すが山口はいないようだ、川口先生と目が合うがいまは話す事は出来ない。仕方なくグラウンドに足を向けてみる。
思ったとおりグラウンドで山口の姿を見つける。ああ嫌だなぁなんて心の内を見せるつもりは微塵もない。
「山口先生、お忙しいところすみません。ちょっと質問があってきました」
「おう、藤倉か珍しいな。お前に質問されるなんて夢にも思ってもみなかったぞ」
私の心象は最悪な山口だが、対する山口が抱く印象は180度逆である。ずいぶんと馴れ馴れしい態度だ。
ええそうです、私も質問するなんて事を口にする事自体ありえないと思っていました。そんな言葉を飲み込む。だらだらと話したくもない相手なのだ。直球勝負で決めにいく。
「その、私に嫌がらせをしていた相手が高田さんだと耳にしたものですから」
「お前……、誰からそれを聞いたんだ?」
あからさまに動揺している。楽勝である。こうも簡単に引っかかるのかと思うと、逆に落胆すら覚える。同じ先生でもこうも違うのものなのだろうか。山と川の違いは大きい。先生の言っていたとおりだ。私も山より海がいいそして一番は川だ。
夏休みは川辺でバーベキューをして花火、とても楽しそうだ。でも、そこにいてほしいのに、美弥子の姿は思い浮かべられなかった。
「やっぱり本当だったんですか…」
「あんまり深く気にするんじゃないぞ。若いうちはいろいろあるからな。藤倉もいつまでもこだわっていないで、がんばらないといけないぞ?」
こう上辺で励まされても、真に受ける者など少ないと思うのだが。
作品名:あいねの日記1.5日目 作家名:Azurite