一万光年のボイジャー
ハッ、と笑ってアカシアはカミュに共用パソコンを押し付ける。
「7000年……」
「バカな大昔の地球人は、星がみいんな同じ宙の上に張り付いてると思ったのよ。ほんと、バッカみたい」
「地球から見ると遠すぎて、同じ平面上に見えたのよね」
アカシアの暴言をエーミィが簡潔に、そして柔らかく言い直した。
ケイローンはさそり座に向けて弓を引いている。勇者オリオンを刺し殺したサソリを射抜くための矢を放つ、その機を延々と待っているのだ。
しかし、ケイローンの手元近くにあるM22から、弓の弧の一部を描くM17までの距離が、約7000光年。いつ矢を放てるか目処がたつまい。
いて座M20、散光星雲。
約8000年前、『フロンティア』はその近隣を通過。
距離が遠すぎたためスライドには収められず、光学望遠鏡写真しか残っていない。
いて座M8、散光星雲。
M20とやや近く、取り巻く星雲を共有して双子のように存在している。
約7500年前、『フロンティア』はその近隣を通過。
これも距離が遠く、残されているのは写真のみだ。
そして、いて座M17、散光星雲。
通過したのは約7000年前、当時肉眼でも確認でき、図書館にスライドが残されている。
「同じ星座で、同じ星の絵なのに、何千光年も離れてるなんて……なんか寂しい」
カミュは悲しそうにつぶやく。
「だからバカだって言ったのよ」
アカシアはそんなカミュにまた中傷の言葉を放った。なのに、それを受けてもカミュがめげる様子は微塵もないらしい。
「僕、自由研究、いて座にしようかな」
「あんた何聞いてたの!!それにほんと救いようのないバカなのねえアンタ、そんなホットな話題、調べたって誰かと被って埋もれるのが関の山よ」
アンタなんかの力じゃあね、とアカシアはカミュの額を小突く。
アカシアの言うとおり、今『いて座』の話題は最もホットな話題のうちの一つだった。そろそろ子供社会は『幽霊戦艦』のことを忘れ始めるだろう。そして新学期には山のように『いて座』の自由研究が提出されるのだ。
「いいわ、百歩譲ってテーマは『いて座』にしましょう、じゃあサブタイトルは何?点数取るならセンスのあること調べなさいよ」
「『ギリシア神話』でもいいかな」
「有り体よ、ダメ」
「肉眼で見えるようになったら、スナップ撮ってアルバムだって作れるよ」
「それもダメ、ナンセンスだわ」
エーミィの手から、さり気無くシューは『いて座M22』の写真を取り戻した。夏休みはもう半分も残っていないのだ、自分も自由研究のテーマを決めなければならない。
円形のぼんやりしたスフィアを描くM22は、やはり美しかった。これが宇宙の中心だったら良いのに、とシューは思う。
ハックルベリーのように大袈裟にロマンを語ることはできやしないが、シューは未だ虚空の彼方で佇んでいるM22に、言い知れぬ魅力を感じていた。気持ちだけなら負けまいと一瞬だけ自分もそれをテーマにしようかと考えたが、せっかく同一思想者と分かったエーミィの前でアカシアに「ナンセンス」と罵られるのが嫌だったのでやめておくことにする。
しかし、たった今捨てようとしたなけなしのロマンをまるで「拾いなさい」とでも言うように、エーミィはシューに小さく耳打ちをした。
「『いて座M22』、パパの光学望遠鏡で、じかに見せてあげる」
押し問答を続けていたアカシアとカミュは、結局、図書館で『いて座M17散光星雲』のスライドを見る意向でひとまず収まった。
過去の成果を見て決めようというのだ。それはアカシアにしてみれば、更に小ばかにするための一材料に過ぎなかったのだが、カミュはひどく張り切っていた。
「見せてあげるから――だから今夜、私の部屋に来て」
いつまでもいて座に夢中の三人は、エーミィがシューにした耳打ちに気が付かなかった。
皮肉にもそれは、図書館のスライドなんかよりも余程参考になる資料だったのだが、シューにそれを三人に教えてやる気はさらさら起こらない。起こりようもない。
耳打ち、というのは他の人に聞かれてはいけないことを話す際使う手段の一つである。
エーミィは、同一の思想を持つシューを秘密の共有者に選んだのだ。
作品名:一万光年のボイジャー 作家名:くらたななうみ