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くらたななうみ
くらたななうみ
novelistID. 18113
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一万光年のボイジャー

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第二章 いて座M22







「いて座球状星団、ねぇ」

シューはまた、ハックルベリーの言った単語をひとつ拾い、復唱していた。
どうも進歩が無い。思いはするが、その単語が持つ魅力的な響きに負けてしまった。

「ただの球状星団じゃねェよ、大、球状星団だってば」

いて座M22球状星団と言えば、メカニックである父親が「レーダーにノイズが入る」とよくぼやいていたので、シューにはやや聞き慣れた名称ではあった。
ここ数十年、『フロンティア』はいて座M22に接近しつつあったのだ。

「大も小も同じじゃない、テレビジョンにノイズ入るからヤなのよね」

大きいからこそ沢山の恒星を含んでいる。その恒星は絶えず様々な磁力風を発していて、レーダーにノイズが入るのもその磁力風の所為だった。
星団レベルの大きなものにもなると、その強さは単一で存在する恒星の比ではない。

「ロマンもクソもねェなおまえはよ」
「チビにロマンを何個足したって、豚の肥やしにもなりゃしない。そうね、言葉は悪いけどその通りクソだわ」

何度アカシアに蹴られようが殴られようが、果ては吊るし上げられても、ハックルベリーは突っかかるのをやめようとはしなかった。
それは青春の入り口であったのだが、シューにはもちろんそんなことどうでもよく、ハックルベリーが持ち歩いている、いて座球状星団の最新の光学望遠写真を手にとる。
星なら船窓からいくらでも見ることができた。自分たちが目にできるリアルな景色は星と、暗黒、その二者択一のみ。
星なんて、ガスとチリの塊が自重でぶつかり合い超新星爆発を起こして光っている、としか考えていなかった。磁力風だって迷惑極まりない。

『いて座M22』

写真の右下に小さくボールペンで、そう記されている。

「ロマンを足したら……豚の肥やしくらいには、なるかもな」

シューはつぶやいた。
そうシューが言った瞬間、アカシアがエーッと抗議の悲鳴をあげる。
一枚の写真のその中に、数えれば一ヶ月はゆうに掛かりそうな程大量の星が映っている。その星たちの全てが、明るさの濃くなる中心を見据えている。
光の中心は眩しすぎて輪郭がぼやけているが、だからこそ何かが胎動しているような、今まさに生まれ出でようとしているような神秘性を感じたのだ。

「半月もしたら、肉眼でも見えるようになるらしいわよ」

シューの手から写真を取り上げると、いつから居たのかエーミィが言った。
聞くや否や、まだ見えやしないのにハックルベリーは船窓に張り付く。いつしか目の前に姿を現すであろう、具現化されたロマンに想いを馳せているのだろうか、強化ガラスに緩んだ頬を押し付けながらうっとりとしている。

「マジでか……スゲェよう」
「直径110光年を超えるから、通り過ぎる前には私たち死んじゃってるけどね」
「いいよ、そんな凄いものの横、俺たち通過しちゃうんだぜェ……」

大騒ぎするハックルベリーに触発されたのか、アカシアとカミュも彼の両側に張り付き、遥か虚空のその先を見つめた。

「詳しいじゃない、うさんくさいわね」

言っていることとやっていることが噛み合っていない。何故なら、アカシアの目は本気で『いて座M22』を探しているからだ。シューは唖然とした。
たった今、「豚の肥やしにもならない」と評価した対象を、窓に張り付いて探している。つまり「豚の肥やし以下」のものを探しているのだ。
やたらロマンチックな乙女の端くれだと把握してはいたつもりだったが、マドンナと豚の肥やしのミスマッチさ加減といったらない。
そんな彼女を見てエーミィは、赤毛のショートボブを揺らしながらクスクスと笑っている。

「何で詳しいの」

シューは訊いた。

「ことはさ、至って単純なのよね」

エーミィは笑うのをやめた。
彼女のチャームポイントでもある翡翠色、つまりエメラルドグリーンの瞳が、大きく開いてシューを見る。何故か気圧されそうになった。

「あたしのパパ、天文学者だから」
「……単純過ぎる。しかもそんな話、聞いたことなかったぜ」
「当然よ、だあれにも言ってないもの、本人も細々とやってるから成果も上がってない、名前も知れちゃいないわ。それで良いと思ってるんじゃないかしら」

だから皆知らなくて当たり前、とエーミィは言って、そして手元の写真にまた目を落とす。

「案外、ファザコンだったりして」
「蹴るわよ……と言いたいトコだけど、そうね、そうかもね」

エーミィは『いて座M22』から目を離さないまま、本当はパパにもこんな写真を撮って欲しいのよね、と小さくつぶやいた。
同一思想者であることが分かっても、シューとエーミィの距離はそれほど縮まりはしなかった。あれから数日、やはり『幽霊戦艦』の噂は集束しやしなかったし、むしろ加速さえしていた。
それでも、単なる噂で満足しない二人にとって、結論の出せない課題に熱く語り合ういわれがないのだ。だからあれから言葉一つ満足に交わせなかった。
だがこの変化は劇的だ、シューは思った。
エーミィは星に詳しく、父親が天文学者、しかもファザコン、突然の情報量に眩暈がする。

「ねえ、シュー」

呼びかけられて、シューは我に還る。エーミィの翡翠の双眸は自分を見つめている。
さあ、次は何を言ってくれるんだ、何を言われても驚かないぞ。シューは構えた。

「今晩、私の部屋に来て」

正面から突進してくる敵を迎え撃とうと、剣と盾を持って要塞で待ち構えていたら、後ろに控えている味方に延髄チョップを喰わされた様な衝撃だった。

「ねえエーミィ、いて座全体は、どのくらい大きいのお?」

船窓に両手を張り付け、瞳は星屑の散る虚空に注いだまま、カミュが声を張り上げる。
ジャマだ散れ、とシューは思ったが、焦るのもよろしくない。
ただ、馬鹿だなそんなことも知らないのか、と明らかに棘のある物言いを喉の奥に準備した、その時、

「バッカねえ!!そんなことも知らないの!!」

アカシアの一撃が飛んだ。
シューは複雑な気分になる。言いたいことは全て彼女が言い切ってしまい、しかも内容もシンクロニシティが大きい。

「『いて座全体』、なんて言葉、そもそもありえないわよ」
「アカシアに訊いてないのにぃ」

船窓から離れ、アカシアは手近いポッドから共用パーソナルコンピュータを引っ張り出した。
彼女の長い指はすらすらといて座を検索にかけ、画面をカミュに突き出す。中腰になってアカシアの指先を眺めていたカミュは、不意打ちにドスンとしりもちをついた。

「大昔の人も、アンタみたいにバカだったんでしょうね」

パソコンの画面いっぱいに、一見するとなんのことか分からない図面が映し出されている。よくよく見ると、それは星図だ。
射手、つまり、古代ギリシア神話で言う、ケンタウロス族のケイローン。彼は弓の名手だったという。

「ここよ、ここがM22」

アカシアは星図の真ん中より少し上を指し示す。
ちなみにこれがM20散光星雲、こっちがM17、と、アカシアは星図の中の擬似的な星を、次々と指差していく。

「『いて座M17』の散光星雲だけなら、図書館にスライドがあったと思うけど」
「ただし、7000年近く前に撮られたヤツね」