レジで前に並んでる奴のTシャツの背中のロゴでした
あれは、父親側は相手を我が子と認識した上でのコミュニケーションだったから成り立つのだ。オレたちの場合、お互いに相手が誰だか分からない状態だった。そもそもmomo_chang_1221のツイートやクダマキから、それが母親であることなど分かるはずもない。第一、あのアイコンの写真は何なのか。髪の色も眉の色も現在の母親とは違う。若い頃の写真を使用した俗に言う“アイコン詐欺”をしていたではないか。さらに、書き込んでいた内容には自分の経歴に関する情報などほとんど無く、『○○に行った』だの『今○○の番組を観ている』だの日々の生活の記録ばかりだったではないか。
再び、強烈な吐き気が襲ってきた。今度はゴミ箱に手を伸ばさず、体を弓のように反らし、歯を食いしばって堪えた。
現実を受け容れるべきだった。
現実として、一昨日の久しぶりの対面で、モモ(@momo_chang_1221)の正体は実は母親ではないのか、という疑念がオレの中で生まれていたのだ。
どうしてかは分からない。
血を分けた親子だから、と簡単に断ずることもできるかもしれない。
あるいは、自分の視野の狭さゆえに生まれた疑念が、たまたま的中しただけなのかもしれない。
ただ、モモが時々発作的に『死にたい』等のネガティブな内容ばかり書き込むその理由が、モモを母親だと仮定したときに明確に理解できた気がしたのだ。
その理由とは、もちろんオレだ。父親との別離も理由の一つではあるかもしれないが、オレとの断絶が最も大きな理由であることは間違いないのだ。
以前の職場を解雇されてから、オレは部屋に引きこもるようになった。以前からの友人とも職場をクビになったことで気後れして連絡をとらなくなり、半年後には完全に疎遠になってしまった。インターネットに没入するようになったことで、孤独に対して不感症になっていった。その頃はまだ兄も実家にいて、三人暮らしの母親とも仲は良かった。時々、食事中に二人から“いいかげん働け”などとからかわれるぐらいがせいぜいだった。
だが、そんな生活も一年が過ぎ、兄が結婚を機に家を出て母と二人暮らしになってから一変した。母はいつまでも部屋に引きこもり続けるオレを真剣に心配し始めた。『一体いつになったら仕事をするのか』元々は気の強いな人だった。オレは毎日のように母から怒声交じりの説教を浴びることとなった。ある日、しつこく怒鳴り散らす母親に向かってマグカップを投げつけた。それが運悪く母の額に命中し、驚くほどに血が噴き出した。痛みより驚きが強かったのか、そのまま倒れこむこともなく眼を見開いてオレを見つめるその視線がとても恐ろしく、それ以降、オレは母と顔を合わせることがなくなった。
父と別居し、兄が独立し、さらにオレとの家庭内断絶。
母が精神的に追い込まれることも無理はないと分かっていた。
だというのにオレは、その事実から目を背けたかった。
ジャノミチ上のmomo_chang_1221や、階下にいる母親にそんな事実を直接確認などしたくなかった。母の誕生日がIDの末尾四ケタと違っていれば、もし違っていなくとも母のPCにログインできなければ、オレはその時点で“二人は別人”と結論づけてしまうつもりだった。
オレにとって、最初の読者であるモモが自分の身内だったなんて、惨め過ぎる事実を決して認めたくなかったからだ。たったそれだけのことだ。
それが結局、“目の前で母親を見殺しにした”という最悪の結果を招いたのだ。
『@jailedmonk ご返事遅れてすみません カラミありがとうございます たまに鬱なクダマキしてしまいますが よろしくお付き合いお願いしますね』
ジャノミチに、オレ宛てのリプライが表示された。
何かと思った。
人間は信じられないことが起きると、途端に思考を止めるという。
それは生物としての防衛本能らしい。
今まさにそれを実感していた。
オレは画面上に表示された事実をただ受け止めた。
そのリプライの主は、モモだった。
この母が死んだ二日間で疲労が溜まっていたのか、オレは半日ほど眠った。
目が覚めたのは夜の八時だった。
オレは蛍光灯を点け、そのままのモーションで腕を下げて、PCの電源を入れる。
Twissterへログインする。
オレのリプライ欄には当然だが、モモ(@momo_chang_1221)からの返事が残っていた。
何なのだ、これは。
だが、その言葉通りほどの困惑はすでになかった。一旦時間を置いたことで、自分でも驚くほど冷静に受け止められていた。前職に就いていた頃、上司が顧客からの無理難題に対していつも『いったん持ち帰らせてください』と頼んでいたのだが、その理由が理解できた気がした。それは、現実問題の先送りではなく、現実と戦うための武装の時間なのだ。
この意味不明な事態にも、考えられる理由はいくつかある。
一つ目は、『Twisster上の不具合』
Twitterの頃も何度か遭遇したことがあるが、タイムライン上に見知らぬ誰かのツイートが表示されてしまうバグがあった。このリプライもその類いかもしれない。
“不具合でした”
インターネットの世界でそれは、絶対のフレーズなのだ。
この場で起こるあらゆる誤解、疑問、不満なども、このフレーズを受けてはとりあえずの溜飲を下げるしかないのだ。
二つ目は、『ハッキングされた』
これは俄かには信じがたいが、ありえない話ではない。著名人の公式アカウントがパスワード解析されて乗っ取られたという話を、一度ならず聞いたことがある。事実、オレも数時間前にやってのけたのだ。
ただ、オレが母親のアカウントをハックしたのとほぼ同タイミングで、見知らぬ誰かが同じそのアカウントをハックしたということになる。モモのアカウントから若い女性を想像してストーカーまがいな行為をする人間が仮にいたとしても、それはやや出来過ぎな話ではないだろうか。
三つ目は、『モモ(@momo_chang_1221)は元々オレの母親ではなく、赤の他人だった』
……もしそうであれば、これほど救われることはない。
だが、あまりにも理想的過ぎて、これはさすがに信じられない。
その想いに拍車をかけるのが、そのリプライの内容だ。
『@jailedmonk ご返事遅れてすみません カラミありがとうございます たまに鬱なクダマキしてしまいますが よろしくお付き合いお願いしますね』
この文章はまるで、初対面の相手に対する挨拶のようだからだ。
Twitter上のモモと同一人物であれば、少し不自然ではないか。
あるいは、何らかの事情でオレの存在をうっかり忘れていたのかもしれない。たしかにjailedmonkという名前も覚えやすい類いではないし、アイコンは何も指定しないデフォルト状態のままだ。オレ自身、相手に自分自身を憶えてもらう努力を怠っていたことは認めざるを得ない事実だ。
そういえば、彼女からリプライは貰ったものの、カラミ返しはまだ無かった。
作品名:レジで前に並んでる奴のTシャツの背中のロゴでした 作家名:しもん