レジで前に並んでる奴のTシャツの背中のロゴでした
おばちゃんとオレ、兄とその奥さんと姪っ子。
葬儀屋との打ち合わせはおばちゃんが一手に引き受ける形で、オレと兄家族は黙ってそれを見守っていた。久しぶりに会ったというのに、兄は最初に挨拶を交わした以降、オレとほとんど目も合わせることがなかった。
業者に指示されるまま手配された車に乗せられて、隣駅近くのこの寺まで誘導されてきた。母はすでに棺桶に収められていて、綺麗に化粧を施されていた。
━━昨日、和室で首を吊っていた母親を見つけてからの一連が、未だに整理できていなかった。
おそらく必死に平静を保とうと思考を止めていたからかもしれない。憶えているのは断片的な映像とその順序のみであり、それぞれがどんな意味を持っていたか、それらが自分とどんな関係があるのかといったことに思いを巡らせることはなかった。オレはテレビを眺めているような、完全な客観的視点でもって昨日からの出来事を受け止めていた。
まずオレが最初に気付いたのは、母親の足元の書き置きだった。
「ごめんなさい
ここに連絡してください
XXX−XXXX−XXXX」
たったそれだけの文言が、スーパーのチラシの裏に書かれていた。
しばらくして、おばちゃんが血相を変えて現れた。今日は地元へは帰らず、都内のホテルに宿泊していたらしい。おばちゃんは背中を向けた妹の首吊り死体の正面へ何の躊躇もなく回り込み、突然火が点いたように泣き始めた。ひとしきり泣いた後、涙を拭ったおばちゃんはてきぱきと何本かの電話をかけた。警察が来た。医者が来た。葬儀屋が来た。おばちゃんは何枚かの書類に冷静な顔でボールペンを走らせていた。そのうちの何枚かを茶封筒に入れて、近い内に役所へ届けろと言ってオレに渡した。
葬儀が一通り終わった頃、父親が現れた。
何年ぶりに会うだろうその姿は、オレの中でずいぶん薄れていた彼への記憶を一斉に呼び覚ました。特別に家族との確執などなかったのに、家族を捨てて出て行った父。真黒に日焼けした肌。すでに還暦を超えている筈だが、妙に量が多く黒々とした髪の毛。
一瞬にしてその場に緊張が走るなか、おばちゃんだけが冷静だった。きっと、おばちゃんが連絡したのだろう。父親が頭を下げるのに合わせ、全員が無言のまま頭を下げた。
父親は誰とも視線を合わせぬまま、母の棺桶の前に立って手を合わせた。一分ほどそうしてから、くるりと向き直り、また誰とも視線を合わせずにその場を去って行く。だが、ほかの皆から少し離れた場所に立っているオレに気付くと、そのまま近づいてきた。
「母さんが死んだのは、お前のせいだ」
父親はオレの前に立ち、鋭く睨みつけながら言った。オレも、おそらくはオスの本能といったもののみで彼を睨み返した。父親の視線にあるのは威圧感だけで、怒りや憎しみの感情といったものは全く感じられなかったからかもしれない。
「なに臣人だけのせいにしてんだよ、あんた」
兄が詰め寄ってきたが、その表情に浮かぶのは父親に対する怒りや憎しみの感情だけで、オレを庇う気持ちといったものは全く感じられなかった。
細かい話は追々ということでその場は解散し、オレは独り帰宅の途に着いた。二階の自分の部屋へ戻り、蛍光灯を点け、そのままのモーションで腕を下げて、PCの電源を入れる。
そして、椅子に腰掛け、起動中のウィンドウズのロゴを眺める。
目の前にあるのは、普段と変わらない光景。だが、それが却って目を背けていた“普段とは明らかに違う”異様を引き立たせる。
階下に母親はもういない、という事実。
一つ屋根の下で顔さえ合わせることもなかったが、そこには承認せざるを得ない存在が確実にあったのだ。
オレは湧き上がる感情を振り払うかのようにTwissterを立ち上げ、jailedmonkでログイン中のその画面から、いったんログアウトした。
ログイン画面のユーザーID欄を入力する。
momo_chang_1221
母・桃子の誕生日は十二月二十一日だった。自ら確認することなく、通夜から葬儀の過程で何度か聞かされることとなった。
続けてパスワードを入力する。
sweetpeach
母親の古びたPCは警察に押収されたため、ログインすることは叶わなかった。だが、そんなこと最初から必要なかったのだ。
かつて、母親が買ったばかりのPCに悪戦苦闘していたときに、PCへのログイン情報の設定をしたのはオレだったが、その他に通販サイトやブログサイトへのユーザー登録をしてやったのもオレだったのだ。
“……パスワードはどうする?”
“sweetpeachで”
“またかよ”
“全部同じにしとかないと忘れちゃうから”
“……まぁ、一介のババアがセキュリティーなんて気にする必要無いかもしれないけどな。ていうか何なんだよ、スウィートピーチって”
“べつに意味は無いけど。可愛いでしょ?”
“何言ってんだよ、いい歳こいたババアが”
……そんなやり取りを思い出しつつ、オレはログインボタンを押した。
『おかえりなさい! モモさん』
あっけなくログインして、画面上にmomo_chang_1221が構築したジャノミチが表示された。カラマレ数に比べてカラミ数が極端に少ない彼女のジャノミチは進行が遅く、二日前の彼女の最後のつぶやきがスクロールせずとも画面最下部に表示されていた。
『誰かわたしに力をください 生きる勇気を それが叶わぬのなら 死ぬ勇気を』
オレはグロ画像のリンクを踏まされたときに反射的に目を背けるかのように、自分でも驚くほど迅速で的確で効率的な操作でもってTwissterからログアウトして、改めて元のjailedmonkのアカウントでログインし直した。体中の細胞が一斉に“今の出来事を無かったことにする”ために動いたような気がした。
次の瞬間、強烈な吐き気が襲ってきてオレは足元のゴミ箱を抱え込んだ。口からは何も吐き出されず、やけに湿り気を帯びた生温かく荒い息だけが手首に何度もかかった。
落ち込んでいる主人公をネット上から『大丈夫』と慰め続けていた相手が実は父親だった、というTwitter小説を読んだことがある。突然それを思い出した。
母親がTwitterやTwisster上で、誰かに助けを求めていたことは間違いない。
それは誤魔化しようの無い事実だ。
オレがいち早くそれに気付いて、母親に『大丈夫』と声をかけてやればよかったのか。何度も『死にたい』とつぶやく彼女を、オレは階下に降りて行って抱きしめてやればよかったのか。
冗談じゃない。
作品名:レジで前に並んでる奴のTシャツの背中のロゴでした 作家名:しもん