レジで前に並んでる奴のTシャツの背中のロゴでした
……我ながら、さすがにくだらないと思ったが、たまにはこういったお笑いノベルもいいかもしれない。それに、書き終えてから何度も推敲した時間をむざむざ捨てることもないと思い、そのままジャノミチにドロップした。
『@jailedmonk なかなか面白いノベルですね。なぜか唐突に医者が登場してくる辺りが特に』
そのリプライは、ツバメ(@FlyingSwallow)からだった。ムーンライトと相互カラミの関係になったときに立て続けにからんできた二人の内の一人だ。
ちなみにもう一人は雷電(@thunderlightning)という男だ。
ツバメは顔に自信があるのだろう、その自分撮りした実写アイコンを見る限り、口元に微笑を浮かべたその顔はたしかに美形の類いではあった。彼もカラマレ数はムーンライトと同様、一〇〇〇を超えていた。カラミ数は六〇〇程度。そのほとんどが実写アイコンの女性ユーザーばかりだった。
『@FlyingSwallow 御感想多謝。たまには実体験を基にした作品も良いだろうと思いまして』
あまりすぐに返信すると、喜んでいると思われてしまうので二十分ほど待ってから返信した。
『@jailedmonk 小説書き始めてからどのくらい経つんですか?』
ツバメからの返信はすぐに着た。今度はオレもすぐに返信する。
『@FlyingSwallow そうですね・・・敢えて申すならば、物心ついたときからすでに文章を書いていた、となりましょう』
『@jailedmonk ジェールドモンクさんって面白い人ですね。よく言われません?』
『@FlyingSwallow たしかに、思い起せば何処へ行ってもツマハジキの人生だったと云えるでしょう。とはいえ、こんな魑魅魍魎が跳梁跋扈する空間で知り合った者同士、どうぞ仲良くしてやってください』
『死にたい』
突然だった。
それは間違いなく、待ち焦がれていた筈のアイコンだった。顔の上半分だけ晒した実写アイコン。こちらを推し量るように睨みつける意志の強そうな視線。キレイに揃えられた茶色い前髪。茶色い眉。
クダマキIDは、待ち焦がれていた筈の“momo_chang_1221”だった。
背筋がぞくりとした。
ぼんやりと潜んでいた不安が、突然ひょっこりとオレを覗きこんできたような不快感があった。
『@momo_chang_1221 どうしたの? やぶからぼうに』
そうモモにリプライを送ったのは、ツバメだった。
一瞬驚いたが、女性実写アイコンのユーザーばかりにカラむ彼のことだ、大して不思議ではなかった。
オレはなんとなく居心地の悪さを感じ始めていた。
それは断じて、モモに対する嫉妬心などではなかった。
家を出てからずっと考えないようにしていた疑念を、彼女のIDを目にした瞬間、脳裏に直接突きつけられたような気がした。
オレが感じている居心地の悪さ、それは、身内の人間の『性』の部分を目撃したときに感じるそれと同質のものだった。
『誰もわたしを助けてくれない 誰もがわたしに消えてなくなれと突きつけている』
『死ねば楽になれるのよね そして誰も悲しまない』
『誰かわたしに力をください 生きる勇気を それが叶わぬのなら 死ぬ勇気を』
空はいつのまにか夕方の色の帯びていた。
辺り一面をオレンジ色に染め上げ、店に出入りする客はいつのまにか会社帰りのサラリーマンらしきスーツ姿ばかりになっていた。
オレのジャノミチを侵食していく彼女のクダマキを眺めながら、オレが考えていたことはといえば━━ 母親の誕生日だった。
日付までは憶えてなかった。だが、十二月であることは間違いない。
それでも、もし仮に母親の誕生日が十二月二十一日だったとしても。
……それだけでは、もちろん断定できない。
同じファーストネームで、且つ、同じ誕生日の人間などいくらでもいる筈だ。
そもそも、彼女のIDの末尾である“1221”が彼女の誕生日だと思っていること自体、ただの先入観だ。もしかしたら、ただの時刻かもしれない。お気に入りの数字かもしれない。誰かの誕生日かもしれない。
「すみません。タバコ吸ってないなら、席、譲ってもらえませんかね」
オレと同年代くらいの男が申し訳なさそうに眉間に皺を寄せながら声をかけてきた。彼の隣には、老人が火の点いていないタバコをくわえたまま呆けた表情で立っていた。
オレは急いで老人に譲るために席を立ちあがった。
その足で自宅へ向かった。
とりあえず、母親の誕生日を確認する。
もしも、十二月二十一日ではなかったとしたら、momo_chang_1221は母親ではない別人だと断定してしまえばいい。
そして、もしも、母親の誕生日が十二月二十一日だった場合。
本人に直接確認すればいい。
なんと訊けばよいか。
“TwissterやってるならIDを教えてくれ”と訊くか。
それでは、明け透け過ぎる。オレがTwissterをやっていることは勿論、下手をすればjailedmonkであることさえ知られてしまうことになりかねない。
それに、本人のほうがTwissterをやっていることを知られたくない可能性もある。あんなネガティブなことばかり書きこんでいることなど、たとえ断絶状態であっても絶対に息子に知られたがらないのではないか。
やはり、こっそり母親のPCを覗くしかないか。和室にあるあの古びたPC。ログイン時のパスワードはもし変更されていなければ、オレには分かる。“sweetpeach”だ。はっきりと思い出していた。
その設定をしたのは、オレ自身だからだ。
家に着いた頃には、すっかり夜になっていた。
考えをまとめるために、家までの道のりを、立ち止まったり、ゆっくりと進んだりしていたからだ。
とりあえず。
まずは母親の誕生日を確認する。保険証が仕舞ってある場所なら分かる。財布を見れば、運転免許証だってあるだろう。
誕生日がシロだった場合。
それで終わりだ。もはや母親とモモへの疑いは消えたといっていいだろう。
そして、もしも誕生日がクロだった場合。次はPCをチェック。これは母親が買い物に出かけている間に済ませる。
そして、もしPCのパスワードが“sweetpeach”から変更されていてログインできなかった場合。……これは母親に直接頼むしかないだろう。オレのPCが故障してしまったから貸してくれないかと頼む。
これでいこう。
玄関は鍵がかかってなかった。着の身着のまま飛び出してしまったオレへの配慮なのだろう。
家の中は真っ暗だった。玄関の灯りさえ消えていた。和室だけ灯りがついている。そのことが、襖の下から微かに漏れる光で分かった。
嫌な予感を覚えた。
オレはまず玄関の灯りを点けて、いつものように階段を昇らず、そのまま和室のほうへ進む。
声もかけずに、一気に襖を開けた。
母親がこちらに背中を向けたまま、天井からぶら下がっていた。
母親の葬儀は親族のみで行われた。
作品名:レジで前に並んでる奴のTシャツの背中のロゴでした 作家名:しもん