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小さな鍵と記憶の言葉

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 例えば、薔薇やカードや蛙達が食事を摂る場合、彼らが席を置く場所は役職達の使う食堂とは異なる。
 それは配慮でもあった。役割の違いとは言えど、複数名いる役職と単独で役職を抱えるものとでは必然的に立場は異なってくる。普段仕えているものと肩を並べて食事をするということはまるで気が抜けないし、他愛もないお喋りをすることも、裏方にとして憚られるというのは世の常であろう。
 だから、役職達の食堂よりも一回り狭く、内装は似ているもののやや簡素なその場所。厨房を挟んで正反対の場所に、裏方のための大衆食堂があった。
 とはいえ、夕餉の時間をとうにすぎた大衆食堂は人影がまばらだった。いつもは薔薇や魚達が賑やかに談笑しているはずの室内はしんと静かで、所狭しと並んだテーブルは8割程が空席だった。

 部屋の端で食事を摂っていた蛙が、トレーを下げる。それでセレスタインの視界には他のものの姿はなくなった。騎士もまた、最後のパンの欠片を口に放る。今日の仕事は、先刻までの巡回で最後だった。慣れた仕事をこなすばかりで疲労も少ない。けれど、こうして一日の終わりともなると、静寂を好むのもまた真理である。
 食事当番らしき蛙が皿を洗っている様子を横目に、食器を順に洗い場へ投下していく。最後にトレーを一番上に重ねる。食堂の出入り口までやってきて、騎士はふと足を止めた。
 出口の手前には屑籠が並んでいる。残飯用とは異なり、読み終わった新聞やコルクを捨てる籠だ。要は、不要になったものを廃棄する場所。セレスタインは上着のポケットに仕舞ったままだったそれを取り出した。

 忘れていたわけではなかった。巡回中も、幅を取って気にかかっていたから。それに、あの少女の紅潮した笑顔。思い返せば、当惑の感情が蘇る。
 だから、そのナプキン包みをじっと眺めた後、その手を籠の上に翳した。無言のまま、僅かに眉を歪めた表情で。
 順番に解かれた指の間から、それは重力にしたがって落ちていく。音もなく、屑籠の中へ向けて。
 けれどその放物線は途中で遮られ、屑籠の中に着地するはずだったそれは誰かの手によって掻き消える。ちらりと視線をやる。動揺の類が浮かぶことはないが、その眉はまた別の感情によって歪んだ。

「勿体ないことをするね。美味しそうじゃないか」
 いつの間にか猫が傍らにいた。彼の指先はしっかりとナプキンの包みを掴んでいて、頼んでもいないのに結び目を解きにかかった。はらりと広げられた布の上にはマドレーヌが二つ。それを見て、見た目は少し不恰好だけど、と優しく微笑した。

「私には不要のものだ」
 唸るように答えて、溜息を吐く。それから、彼の気まぐれな来訪を咎める。
「相変わらず所在が知れないな、お前は」
 突然現れた彼は、白色のブラウスの上には、コートの代わりにストール。肩にかけて羽織るようなスタイルで、まるで寝室から抜け出して夜更かしをする血統付の少年といった風情だった。
 好奇心が強く、それでいて周囲のものをじっとりと観察する目。瞳孔が縦に長いということはなかったが、それでも充分、猫を形容するに相応しい瞳だった。
「僕は亡霊だからね。人の多い場所には行かないし、真っ直ぐに歩いて行けるものには僕は不要だ」
 よく見なければ、その表情が純粋な微笑だと誰もが錯覚するだろう。けれど騎士は、猫の目が鋭く光っているのを見逃さない。上辺だけで微笑んで、射竦めるような輝きが隠れているのを。
 マドレーヌが差し出される。けれど騎士はそれに目もくれず、ただ正面から猫の笑顔を眺めた。
「僕が現れるのは、迷いを抱えるひとの前だよ。迷うものを、優しく導くのが役目」
「どうせ、余計に迷わせるのだろう」
 諦めに似た言葉を吐く。騎士の諦めるものは果たして何であったか。確かめるまでもなく、首を左右に振る。
 セレスタインの前に現れたということは、そういうことだ。
「けれど、間違ってはいないだろう?」
 二つのマドレーヌ。それを破棄しようとしていた彼の者をを問い質すこともしない。誰が作ったものとも言わないのに、猫の瞳は変わらずに鋭い。
 受け取ろうとしない騎士に対し、仰々しく肩を竦める。それからおもむろにひとつを摘み上げ、そのまま自らの口に放り入れた。
「ほら、美味しいじゃないか、勿体ない」
 一口、齧ってから、また一口。味わうように。バターで濡れた指を舐め上げて、もう一方は再びナプキンで包んだ。今度は否応なく、その掌に押し返す。
「リラはいい子だよ。自分では気づいてないけど、真っ直ぐで芯のある子だ。ちょっと迷子になりやすいけどね」
「それは私の知ったところではない」
 声も上げぬままに笑う猫。眉を顰めた騎士は、そうかもしれないと心の奥では思いながら、口には出来ずにいた。
 アリスは一人だ。あの水面の向こうの少女がどんな存在であろうと、自分には関係がない。

「そうだね。セレスタインはもう決めたのだものね」

 すれ違いざま、耳元に言葉が残る。軽く叩かれたはずの肩が重い。
 騎士は振り返りはしなかった。もうそこに猫の影などないことを知りながら、手元に残った焼き菓子を再び捨てることも出来ぬまま、深く闇に沈んだ廊下を進んだ。

 *