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小さな鍵と記憶の言葉

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「待って、セレス!」
 私の言葉は騎士を立ち止まらせるには充分な力を持っていたようで、振り向きはしないものの小さな溜息が聞こえた。
 それほど遠くない距離を、小走りに詰めて回り込む。今度こそ面倒そうな瞳が私を見下ろしてくる。
「あの、私……甘いものが好きだって聞いたの。ダミアンから。でね、これ、今日私が焼いたんだけど。自分で言うのもおこがましいけど、味は結構上手く行って。それで」
 考えなしで喋り始めたせいで、上手く文章が成り立たない。のろのろと繋げる言葉に、セレスの表情には徐々に不審の色が上塗りされていく。
「それで、マドレーヌ、嫌いじゃなかったら食べてくれないかな?」
 妙なものを眺めるような視線が、ふいに怪訝そうなもの変わる。支離滅裂なのは認める。だから無理矢理に言葉で押し切る。
 やがて開かれた唇から、平坦に吐き出されたのは次の台詞だった。

「何故?」
「何故、って」
 まさか聞かれるとは思っていなかったので戸惑ってしまう。何故って、言われても。食べてほしいなって思っただけで。そう――お茶会にも来てくれなかったし、でも、甘いものが嫌いなわけじゃないって分かったし。
 そこまで考えて、思い至る言葉があった。

 そうか、私、セレスと仲良くなりたい。
 ううん、仲良くなれなくてもいいから、嫌われていてもいいから、この人のことを知りたい。
 それが独りよがりでも、思い上がりでも、なんでもいいけど。仕方ないけれど。

「美味しくなかったら、捨てて良いから、ね」
 だから、ナプキンを解いて、バスケットの中から比較的形の良いものを二つ選んで包み直した。その困惑の腕を引っ張って、てのひらにナプキンの包みごと握らせた。
 突き返されるのが怖いから、そのままパタパタと廊下を駆け進む。振り向けば、益々困惑顔のセレスタイン。なんだか嬉しさが込み上げてきて、私らしくもなく、宙で大きく手を振って。

「今度一緒にお茶しようね! 楽しみにしてるから!」

 それからは廊下を曲がった後だったので、セレスがどうしたのかは分からない。
 けれど、最後の最後まで、その目が私を追いかけていたのだけは、ちゃん見ることが出来た。


 教わった通りに廊下を進んで、階段を上った先はよく知った風景だった。突き当たりの廊下の先は赤絨毯。ここまでくれば、私の部屋は三つ目の大きな扉だ。
 飛び込むようにしてドアを開ければ、驚き呆れた顔の白兎がちょうど出てくる所だった。
「あと15分遅かったら、探しに出るところでした」
「わわわ、ごめん……!」
 苦笑溜息は安心の印。すっかりベッドメイクされた寝室に、活け替えられた花瓶の花。エプロンドレスは疲れてしまったので、代わりにカーディガンを羽織ろうとクローゼットを開ける。そうしているうちにカーテンを閉めてくれながらフィンが問いかけてきた。
「なんだか、ご機嫌だね。何かいいことあった?」
 知らず知らずのうちに口元が綻んでいたことに気が付く。闇に反射する硝子に映るフィンの苦笑と私の横顔。するすると閉ざされたカーテンのおかげで、彼の笑顔だけが残った。
 とっさに自分の両頬を抑えてみたりして。
「ううん。なんでもない」
 そう、別に何があったわけでもない。ただちょっと、慣れないことをして心拍数が早いだけなのだ。
 それでも、あのマドレーヌを食べてくれるといいな、なんて、ぼんやりと思った。