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小さな鍵と記憶の言葉

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 眺めているだけで、喉の奥にまで香りが入り込んでくる。
 今日は気分でレモンを浮かべた、いつもより明るいカップの中の色。屋内にいるせいか、薔薇の香りの代わりに甘い甘いお菓子の香り。はちみつと、バター。焦がしたお砂糖の匂い。
 かちり、針の重なる音。それに気が付いて、私は窓の外を眺めた。

「どうしたの、ぼんやりして」
 次に聞こえたのは優しい低音。それがお喋り相手だったことを思い出して、自分が少し夢の傍まで浮いていたことに気が付いた。
「ジョシュア?」
 思わず名前を呼ぶ。なに、と首を傾げる帽子屋を見て、自分が現実に戻ったことを確かめる。
 ふわふわ。首を振って、夢の後ろ姿を追い払う。

「ううん、なんでもないの。ちょっと眠くなっちゃっただけ。ごめんね?」
「構わないよ。けれど、そうか、もうこんな時間か。そろそろ君を返さないと、白兎に怒られてしまうね」
 窓の外に見えるはずの時計塔は、既に夕闇に紛れてシルエットしかつかめない。
 こんな時間、と彼は言ったけれど、彼らと比べてこの城での生活時間が圧倒的に短い私などでは、太陽の角度を見ても、影の長さを見ても、おおよその時間さえ分からない。
 分かるのは、三時を過ぎればあっという間に暗くなること。夕陽の姿が城壁の向こうに隠れそうなのを見ると、もう三時を過ぎてしまっているのだろう。
 夕飯は六時。けれど私は城内で迷って野宿をしかけるという前科があるので、それよりずっと早くにフィンが様子を見に来る。もしかしたら、もう来ているかもしれない。
 私は最後の一口を飲み干して、テーブルを見渡した。
「お茶菓子、余っちゃったね」
「始めるのが遅かったからね」
 言いながらもジョシュアの表情はどこも責めたり悔しがったりという様子がない。思えば、私が焼き菓子を抱えてきたから始まったお茶会だった。あまりに頻繁なのでお茶会と言うかもアヤしいけれど、ここでは薔薇や蛙を捕まえればどこでも気軽にお茶が楽しめてしまうのだから仕方ない。
 ジョシュアが薔薇に何か指示を出した。顔馴染の薔薇はすぐにバスケットと新しいナプキンを用意して、手際よく皿に残ったお菓子を包んだ。それが私の目の前に置かれる。

「これは、君の分。前のも美味しかったけれど、今日のは益々美味しかったよ」
 また作ってくれるかな、と帽子屋が微笑むので、私は消え入るような気持ちで小さく頷いた。