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小さな鍵と記憶の言葉

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「これ、ありがとう。面白かったよ」
「そう。それなら良かった」
 空色表紙の本をクリスに返した。彼はそれをそのまま傍らの本の上に積み上げて、自身は別の本を手近な棚から引き摺りだした。傍らにはいつものように、大事そうに真っ白な本を置いたまま。
「でも、変な話だった」
「どんな風に?」
「列車の中から出られないと気付いても、主人公はその空間に居心地の良さを見つけてしまう。現実は外の暗闇にあると分かっても。それでも自分の居場所はこちら側だと認めてしまう」
 どうしてかしら。私は彼に聞くともなしに口にする。
 今まで馴染んでいたはずの世界。それとはまるで異なる、重なりもしない狭い異世界。それを、自分の存在場所と信じるには何が必要だろう。この本の主人公は、何を信じることにしたのだろう。
「自分を必要としている人が居ない世界でも、自分が居るべき場所を認めることが出来る?」
「分からないわ」
「けど、彼はどちらをも前にして、選択することが出来たはずだ。二つの場所を前にして、求めることも諦めることも出来た」
「じゃあ、主人公は選んだって言うの?」
「少なくとも、僕が見た限りではそう思うよ」
「……分からない」
 私は何度目かの諦めを口にした。
 分からない。どうしても主人公の決意を受け入れることが出来ない。何故彼はあんなにも淡々と事実を受け入れてしまったのか。何かを失うことは、そんなにも抑揚ないことだったろうか。それから、どうして私がこんなにもあの本に引っかかりを憶えるのかも、今は分かることが出来ないのだ。
 本の中の彼と私とは、似ても似つかないのに。
 ふと、クリスが顔を上げる。本を支えていた反対の拳をこちらに突き出して何かを与える仕草をした。私はとっさに手を伸ばした。けれど、彼はそのまま拳を開かない。
「この中には何が入っていると思う?」
「ええと……」
 ためらっていると、彼の口元が更に和らいでいく。
 けれど私はもう知っているんだ。瞳だけは、本当の猫のように鋭い。
「じゃあ、この中に一冊の本が入っているとしたら?」
「手の中に? 有り得ないよ」
「どうして?」
「どうして――って……だって、本は抱えるほどに大きいもの。握った掌の中に隠れるはずがないじゃない」
 私は戸惑いながら、彼の微笑を見た。彼は尚もどうしてと首を傾げる。
「じゃあ、この中に飴玉が入っているとしたら、君は信じる?」
「ええ。それは、あると思う」
 そして益々微笑みを深く鋭くする。
 クリスはいつだって、答えを言わない。ヒントだってまるでヒントにならない程度の、答えを知った後でしか役に立たないようなもの。
 けれど、それに惑わされては駄目なのだ。そう、言い聞かせているのに。
「そうすれば君は、選ぶことが出来るかな」
「何を?」
「選択だよ」
 クリスの声は静寂の中に良く馴染んだ。