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小さな鍵と記憶の言葉

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 『本当は、料理が出来ない訳じゃないんだ』。

 空になった皿を片付けながら、ウミガメが柔らかに呟いた。
 その声の調子は独り言に似ていた。私に語りかけているようにも見えて、自分の心の中を探っているようにも思えた。私は口を挟むことなく、ただじいっと彼の横顔を見詰めた。

 *

 最初から料理が嫌いだった訳じゃないんだ。僕だって昔は――といっても、あれからどれほどの時間が経過しているのかは長くも短くも分からないけれど――以前はディナーもドルチェも不自由なく楽しんでいた。
 朝食を並べ、昼食に悩み、三時を心待ちにして、夕食を如何に彩るか、毎日充実していた。この役柄を貰ったことは天命で、僕の行き着く先がここだったんだと夢想していた。
 あるとき、新しいアリスが来た。その前のアリスは的確なアリスだったけれど、その人は違った。彼女は良く僕達を見てくれて、良く話しかけてくれた。
 一緒に笑い、食事を楽しんでくれて、そのうちに自分も料理がしたいと言い出した。
 僕は軽い気持ちで彼女を受け入れた。料理が好きなひとに悪い人はいないと考えていたし、二人であれこれとメニューを考えることはこの上なく楽しかった。 いつしか一人で厨房を纏めていた頃のことは薄れ、まるで何年も何百年も二人で料理をしてきた錯覚さえ覚えた。そしてそれが永遠のものだと、勝手に信用してしまった。
 ――そんなとき、彼女はいなくなった。

 *

 彼は続けた。馬鹿だと思った、と。彼女が居なくなって、彼女が来る前の自分が分からなくなっていたのだと。
 どうやってメニューを考えて、どうやって調理をして、どうやって飾り付けていたか分からなくなった。彼は悩むのが苦手だから、考えようとすればするほど深みに嵌った。だから諦めるしかなかった。
 唯一彼女が『絶対に敵わない』と手をつけなかったお菓子ばかり、一緒に作ることのなかったレシピばかりが技術に残った。