小さな鍵と記憶の言葉
相変わらずタツキの熱の入った指導を受けている最中、私はお菓子作りの材料が足りなくて外に出ることになった。
外というのは、城をぐるりと囲む城壁の外。大きな門の先のこと。この城は城壁に囲われ、その更に外をぐるりと街に囲まれているのだ。
初めて間近に見る『外』は背の高い建物と低い建物が混在していて、その隙間を縫うように細い道がうねうねと走っていた。門のすぐ外は広場、その先がマーケットになっているらしい。何本か枝分かれしているうちの一番正面、中央通りに入ると大勢の人で賑わっている。
「ええと、あとは小麦粉と、卵も欲しいかな」
買い物メモを取り出すと、読み上げるより先に言葉が続いてきた。
「それと果物だね」
人混みの中でも、見失わないように離れないように隣り合って歩く。見上げる先は紫水晶の瞳。すっかり慣れてしまった感情の読めない笑顔が私を迎える。
「でもまさか、貴方が来てくれるなんて思わなかった」
そう?と、彼は小さく首を傾げる。幾分か心外そうにも見えた。ううん、訂正しよう。彼と時間を共有するうちに、彼の考えていることは随分理解できるようになっていた。
「僕は白兎だから、アリスを追いかけるのは当然だ」
「それって逆じゃない?」
口を尖らせると、ちょっとだけ楽しそうに頬を緩める。
織物の店の軒先を横切る。幾人かの女性たちが嬉々として衣服を選んでいる。鍛冶屋の前では髭を蓄えた男たちがのんびりと談笑している。
危機に直面しているというから、もっと廃れていると思っていたのに。私はふと町並みの向こうを眺める。城とは反対側のその果てにも城壁が見える。ここ一体はまさに城下町で、何キロ先かはわからないけれど、あの壁の外側は広大な自然が広がっているのを見知っている。
私がこの街に連れてこられて初めて見た場所。真っ青な湖。あれも確か街の外にある。そして塔の上から見渡す大地は、絶えず息づいたようにうねっているのを知っている。それは日々少しずつ大人しくなっていて、それこそが、私がここに居ていい解答のひとつだと勝手に思っていた。
卵の籠を下げて道を下れば、今度は小物屋の前に差し掛かった。ちらりと目を遣ったテーブルに息を呑む。どうやら細工屋らしい。銀製の蔦の葉のブローチに、羽根を模した指輪、ネックレス。小さな石の入ったものもある。
かわいい。
ふと過ぎるけれども、思いとどまり、足を止めずにやり過ごした。けれど、幾許の間視線を奪われたのは事実だった。それに目敏く気付いた白兎が、振り返りながら私に尋ねる。
「見てもいいんだよ」
「いいの」私は頑として首を振る。
「ケイもタツキも待っているし、時間がないでしょ」
するとフィンは、何度か瞬きをした後に目を細めた。
「君は何も変わらないね」
溜息に紛れた呟きはどこか歓心の色をさせていた。
「迷っているようにも見えて、しっかりと答えは持っている。誘惑が待ち構えていても、自分の正しいと思うことを曲げない」
深紫がふわりと揺れる。その色はまるで、懐かしさを追いかけているように見えた。それから、気に留まるのは彼の言葉。『何も変わらない』というのは、いつの私と比べているのだろう。
思わず口を衝く。
「……もしかして、昔会ったことある?」
白兎は――フィンは微笑んだまま、肯定も否定も示すことなく真っ直ぐに私を見詰め返す。
分かり始めていたはずの彼の感情が、また遠ざかってしまったように思えた。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと