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小さな鍵と記憶の言葉

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 * *


 夢を見ていると気付くまで、時間は必要ではなかった。

 どういうわけかここに来てから夢を見る機会は減ったし、何より、淡くもやがかった風景は現実のものとは思えなかった。
 私は仕方なく大地に足を下ろして、歩くでもなくその小路を先へと進んだ。
 その場所は随分馴染みを持った城の中。薄桃や橙の薔薇が彩る庭で、幾人かの人達がテーブルを囲んでいる。

 ――ここは……女王の庭園?
 生垣や噴水の場所は見覚えがある。昨日、もしくは今日、女王と蜥蜴とで雨宿りしたあの東屋。けれど溢れる薔薇はどれも鮮やかで、私を一層戸惑わせた。
 近づいていくのに誰一人私を振り返らない。私がここにいることさえ気付いていないみたいだった。
 その内の何人かは顔を知っていた。裁判長に補佐、それから、今より少し幼い顔立ちの、オレンジの髪の少年。
 急に話し声が聞こえて、必要も無いのに思わず迷路の生垣の影に身を隠した。

「いい天気ね」
 紅茶を味わいながらソフィーナがふっと息をつく。曇りない瞳、穏やかな微笑は、先日の彼女とは別なのだと理解出来た。
「ねぇ、アリスはまだなの?」
 傍らに控えていたその人に、遅れている客人の様子を伺う。相手は気にも留めない風にちらりと首を傾げた。
「さあ。今日はお茶会だと、随分楽しみにしておられたようだけれど」
「もう、困ったひとね」
 ちっとも困っていない微笑に、つられるように苦笑を浮かべる。直感した、彼らの言う『アリス』は私のことじゃない。きっとこれは、今よりも幾らか昔の話。
 ふわり、薔薇の香りの風が横切る。真っ白なテーブルクロスの上に紅色の花弁が踊る。
「迎えに行ったらどう?」
「どうして私に?」
「だって、あなたの主人でしょう?」
「今は皆の主人でしょう」
 その宝石のように赤い瞳が怪訝に歪められる。とても綺麗な色だ。太陽の光がますますその輝きを強くしている。
「つれないわねぇ、ガーネット」
 ひとつにまとめた髪がさらりと揺れる。その出で立ちから、彼女が薔薇でもカードでもないことが分かった。ガーネット。その名前通りの真紅の瞳。
 でも、あの色は――

「心配しなくても、あの人は何処にもいかない」

 唐突にその言葉だけが木霊する。
 穏やかな微笑み。全てを信じているような、表情。風が強まる。太陽は出ているのに、空が濃く暗くなっていく。視界の端がゆるやかに綻び始めた。
 ああ、夢から醒めてしまう。
 気付けばテーブルのすぐ側に大きな穴が開いている。その中に風が吸い込まれていく。
 けれど誰一人それに気付かない。穏やかに座ったまま、誰かがやってくるのを待っている。テーブルクロスの角がひらひらと揺れる。くすぐったそうに女王が前髪を整える。
 吸い込まれるのは風と花弁。私も薔薇の花弁のように、その穴の中へと。
 ――『もう、何処にもいかない』。

「アリス!」

 引き寄せられていく。弾んだ声が誰かを呼ぶ。振り向けば真紅の瞳が庭の端のほうへと視線を投げかけている。待ちかねたソフィーナやローレンスまでもが席を立って誰かを迎えている。
 酷く安心した瞳。その先を覗こうとしたけれど、もう穴の縁はずっと高い。

 落ちていく。本当は浮かんでいるのかもしれない。
 深い穴の壁に反響して、チクタクと時計の音がする。はるか頭上には彼女の笑顔。

 ああ、落ちる。無限の穴の中へと。
 目まぐるしく変わっていく景色。一面を覆う調度品。
 深く暗い穴の先。やがて広がった目を刺すような眩しさが、今か今かと私の帰りを待っている。

 * *