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小さな鍵と記憶の言葉

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 カツン、カツンと、ローファーのかかとが床を叩く。
 ここはアリスの庭から離れた赤絨毯の外のエリア。私は『彼』の話を聞いて、『その場所』を目差していた。薔薇ともカードとも擦れ違わない、いつか迷い込んだ時計塔の傍だ。お城の西端、暮れゆく太陽を隠すようにそびえる塔。その回廊を更に奥へ向かう。階段を昇って、二階。僅かに採光の上がった廊下には合わせ鏡の内側みたいにドアが並んでいる。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。大きな黒色のドア。それを過ぎて、よっつ、いつつ。観音開きの扉。ここがジョシュアに教わった場所だ。

 扉は手をかければゆっくりと開く。中は広くて狭い部屋だった。ルーシャの部屋にあるような木製の蔵書棚が所狭しと並べられている。彼の書斎と異なるのは、デスクを置く場所もないということ。奥の背の高窓が懸命に室内へ太陽を呼び込んでいる。

 此処に、来たことがある。
 私は何故かそう思った。街の図書館に似ていることや、埃とインクの匂いがそう錯覚させているのかもしれなかった。
 ごくり、声を飲み込む音が私の中で響く。それから息を殺すようにして、部屋の奥へ奥へと紛れて行く。ちらりと見上げた本の背表紙には見慣れない言語。フランス語かもしれないし、そうでないかもしれない。
 背後で扉の密閉する音。途端に喧騒はすっかり消えて、自分の足音だけが静かに空気を揺らす。
 そして、私は出逢った。
 出窓の縁に腰掛ける人影。逆光の中で彼のシルエットが奇麗に浮かび上がる。自分の世界の中で本を眺めるその横顔は、見覚えがある。

 私は歩いていく。彼は顔を上げない。
 金に近い琥珀色の瞳。ケイよりも色濃く、光を吸い込んでしまうような輝きだ。

「鼠かな」

 あと数メートル、というところで彼が口を開いた。私は足を止めた。そうするとやっと視線があがって、じっと私を見下ろした。

「違うね、女の子だ」
 彼は微笑んで、パタリとページを閉じる。
 私はまだ黙ったままだった。じっと息を殺したまま、彼が喋り始めるのを待っていた。

「逢うのは久しぶりかな、《アリス》」
 思わず溜め息を吐く。すると目の前の彼は益々意地悪な笑みを深める。

「……知ってたんだ」
「残念ながらね。だから、自己紹介は要らない。如月莉良ちゃん」
 名乗ったこともないはずだった。《お茶会》の中に姿はなかったはずだ。
 いつから気付いていたんだろう。もしかしたら、あの貯蔵塔で会った時は知っていたんじゃないのだろうか。

「でも私は知らないの。貴方は誰? 貴方の名前は?」

 ひらりと床に着地する。建築様式や装飾の華やかさにも馴染む洋装。フリルの抑えられたシャツに、濃色のズボン。タイの代わりにスカーフ。兵士とも給仕とも違う衣服という時点で気づくべきだったのかもしれない。彼もまた役職就きだということに。

 彼が亡霊。
 この城の中で、ひっそりと私の前に現れる不思議な存在。