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小さな鍵と記憶の言葉

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「それって……どういうこと?」
 私は呆然と、彼に尋ね返した。
 誰も居ないのに顰められた言葉は、私の考えていたアリス像とかけ離れていて耳を疑った。
「どういうって、そのままだよ。前のアリスはこの場所に嫌気が差して帰ったんだ」
 そう語る瞳は冗談を言っている様には思えない。加えて、この城の人間が『女王』について無責任な噂を好むとは思えなかった。

 思い浮かぶのは城で働く人間たち。新しいアリスを手放しで歓迎する薔薇やカードや、給仕。何一つアリスについて悪く言わなかった彼ら。
 正直に言って、この『城』に悪い場所は見当たりそうになかった。確かに白兎は少し気難しそうだけど、それでもアリスを必要以上に叱咤したりぐちぐち言ったりということは私にでさえない。なのに、どうしてだろう。どうしてこの場所を嫌がったのだろう?
 ううん、けれど、それよりもまず。
 それがアリスについての悪い噂であるということに、驚き以外の感情が生まれなかった。

「まぁ、ただの人間のあの人には重荷だったのかもしれないね。世界を支える人柱は」
 私はふと、暗闇しかない窓の外を振り仰いだ。
 勿論雲の覆った空には月さえ見えず、ガラスの表面に困惑した私の顔が映る。
「嫌な言葉ね」
 それはそのまま私に向けられた言葉のように思えて、我知らず語気が強くなる。
 ガラスに反射した私の影の中で彼が続けた。
「そうかな? でも、行き着く先は同じだろう」
 玉座に就く者を『人柱』と言い切ってしまう、その無邪気なまでの辛辣さ。しかし、何故だろう。彼からは何か、他の人達とは違う気配を感じる。
 そうだ。この人はどことなく《アリス》に対する愛着が少ないように見える。その口振りに、表情に。無条件に崇めるでもなく、黙って付き従う訳でもなく、それなのに嫌っている様子もない。
 まるで、『女王』になんて最初から興味がないような――
「君は中々面白いね」
 私の思考を遮って、目を細める。白兎とは全く別の、私を見透かすような――ううん、最初から全て見えているような瞳だ。
 それはどこか、動物のそれと似ていた。
 負けじと彼の視線を正面から受け止める。いつのまにか捕まれている肩。強くない力なのに、今まで気付きもしなかったのに、それと知った途端、表皮に伝わる体温がやけに冷たかった。
 一瞬どきりとする。その瞳が、金色に光ったような気がして。
「彼が気に入る訳だ」
 『彼』が誰かを訪ねる前に、その琥珀色の髪の彼は私から手を離した。指先に萎れた葉っぱを連れて行く。離れていった瞳はやはり琥珀色だった。そのまま背後のドアへと視線を注ぐ。

「お迎えかな」
 釣られて振り向くと、遠くから次第に近くなる足音がした。決して走り出したりはしない、けれど急くように重ねられる靴底の音だ。
 戸口から漏れる光に気付いたのか。それは導かれるようにドアの前で止まり、ドアノブがくるりと回った。

「……リラ?」
「フィン?」

 開かれた長方形の枠組みの向こうから、柔らかいランプの明かりと見慣れた紫の瞳が覗いた。その面にみるみる安堵の色が広がっていく。彼らしくもなく破顔さえしてみせて。

「良かった。こんなところに居たんですね」
 明るい室内にランプの火を灯したまま、白兎が部屋の中へと入ってくる。椅子から飛び降りて、年甲斐なく彼の元へ駆け寄ってしまう。
これじゃあ本当の迷子だ。ううん、私が十歳でも十六歳でも、やっぱり迷子は迷子なんだけど。
「どうして貴方が?」
 戸惑ったのはむしろ私のほうだった。『こんなところに』彼が現れたこと、そして私の名前を呼んだこと。
「どうしてって、君が3時を過ぎても帰ってこないからだろう」
 言葉を交わすうちに、フィンの表情はいつもの素知らぬ顔に戻る。加えて私が迷惑をかけたときの溜息。僅かに不満そうな色も滲んでいる。
 私はきまり悪く、だって広いんだもの、と呟く。
「さあ、疲れただろう。早く帰ろう」
「あ、でも……」
 その前にお礼を言わなくちゃ。こんな迷子に休息と食事を提供してくれたんだもの。
 そういえばまだ、恩人の名前も聞いていなかった。白兎の登場でさすがにアリスとバレてしまったかもしれない、と、振り向いて。そして更に動揺する。
 振り向いた先に残ったのは、机の上のマグカップと、部屋にたったひとつの椅子。開け放たれたガラス窓。
 ついさっきまでそこに居たはずの誰かは、もう居なかった。
「あれ……?」
 その窓から入り込む夜闇に浸蝕されて、言葉に表わせない不穏感が広がっていく。
 夢でも見ていたのか、けれどそれは違うと、テーブルの上で湯気をあげる紅茶が教えてくれる。掴まれた瞬間の感覚が、まだ肩に残っている。
 風に揺れるカーテンの影。まるで、闇に掻き消えたみたいに――
「リラ?」
 私を呼び覚ますフィンの声。見上げた先には気遣わしげな表情と、同時に怪訝そうな気配。けれどそれ以上は何も言わないまま、もう一度私を呼んだ。
「もう夜も深い。部屋に帰ってゆっくりと休むといい」
 私は黙ったままで彼の言葉に頷き返した。