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小さな鍵と記憶の言葉

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「見物していても楽しいものだとは思えませんが……」

 追いかけるようにして城の中央にある執務室を尋ねてみると、やはり帰り着いたばかりの白兎がいた。彼は私の来訪にひどく驚いているようだったので、素知らぬ顔で理由を話した。私が暇なこと、は、置いておいて、アリスとしてはやっぱり、この国の仕組みがどうなってるかくらいは知っておきたいと思ったのだ、とか何とか。
 するとフィンは驚くだけじゃなく、どうやら彼らしくもなく困惑もしているみたいだった。

「いいじゃないか、フィン。花の無い職場なんだ」
 執務室にはもう一人の滞在者がいた。薄茶の髪、緑の瞳の青年は《お茶会》つまりは会議を取り仕切る《帽子屋》だ。彼の名前はジョシュア。最初に顔を合わせたのはあのお披露目会だったけれど、以来時々お茶に誘ってくれる。お陰で最近は彼達と午後を過ごすことも多かった。
 ちなみに今は後日執り行う《お茶会》についての打ち合わせで来ているらしく、分厚い紙面を手にあちこち目を通している。けれど何故か彼の目の前には、柔らかい湯気のあがるティーカップがひとつ。
「良かったらリラも如何ですか?」
 彼は白兎の困惑顔もつゆ知らず、私に紅茶を勧めてくる。
「あ、でも」
「大丈夫大丈夫、すぐ用意出来ますから」
 私が戸惑っているのは、そういうことじゃないのだけれど。
 返事を待たずに、帽子屋はあっという間に薔薇をひとり呼び寄せた。エプロンの裾を花弁のようにひらひらさせた薔薇が、これまたあっという間にお茶の用意を一揃い並べてしまう。
 結局、ベルガモットとバタークリームの香りに誘われて、ジョシュアの向かいのソファに腰を落ち着ける。ふいに見上げるのは、立ち尽くしたままのフィンの顔。彼は随分小難しい表情を打ち消したあと、そっと溜め息をはいた。
「……本当に、楽しいものではありませんよ」
 紅茶のセットを前にして、彼の言葉は少し自信がなさそうだ。
 私は満足して頷くと、陶磁のカップに唇をつけて微笑んだ。

「それで、裁判のほうはどうなっている?」
「滞りなく。とはいえ、大きな案件もないのだから《女王》達は随分退屈そうだけれど」
 ティーセットと膨大な資料の山のむこうで、フィンとジョシュアが言葉を交わす。ジョシュアの手元さえ見なければ立派な仕事の風景のようだった。
 シナモンクッキーをひとつ摘みながら、帽子屋は続きを促した。
「大きなものはもう無いに越したことはないね。警吏のほうは?」
「侵入は特に見られない。ジャックは有能だから心配はないだろう」
「ジャックか……確かに、仕事は良くやってくれているね」
 今更だけれど、私は《アリス》のくせにこの『国』の政治も情勢も全く知らない。役職だけは随分耳にしてはいるけれど、彼らが普段どのような仕事をしているか、どんな役割なのかは殆ど見ても聞いてもいなかったのだ。
「それと、給仕へと仕事配分だけれど、三月兎の話では――」
 勿論聞いたからと言って理解できるものではない。分かったのは、この城はアリスという女王がいなくても滞りなく機能するのじゃないか、ということ。大きな問題もなく、警備を騒がすような侵入者もいない。政は白兎や帽子屋が取り仕切っているし、下働きの人たちだって諍いなく日々を過ごしている。

 なのに、白兎は私にアリスになれと言った。私の役割は何だろう?
 何も問題のない平和な場所で、私が必要とされることはあるのだろうか?

 思い出すのはいつかの約束だ。
 『何もしなくていい』。
 『全てが揃えばちゃんと元の世界に戻してあげる』。

 つまりは、そういうことなのじゃないか。
 アリスなんて飾り物で、ずっと昔に定められた掟か何かで形式的に据えるだけ。
 居なければ掟に背くけれど、居ても用事なんてない。だから、帰りたいと駄々をこねれば返してもらえる。
 ふと、エプロンの下に忍ばせた金色の鍵を握りしめる。どこに居たって、私の代わりなんて誰にでも務まるのだろう。むしろ、私以外の誰かのほうが、ずっと役に立つ。それならそれで、いっそ気が楽というものだ。

 だから私は、こうして暢気にお茶を頂いていられるんだから。