小さな鍵と記憶の言葉
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アリスの少女に付き添って、部屋の前で暇を告げる。少女は大人しく中に戻っていった。普段より穏やかな表情が扉の向こうに消えるのを見守って、白兎は背中を向ける。
窓外はとうに暗い。この世界では三時を過ぎると瞬く間に夜がやってくる。空が安定しないのは仕方が無い。アリスがいなくなってからこの街は随分時間を蔑ろにした。
来た道とは反対の道を戻る。行き先は彼の詰める執務室である。少女を連れて来たことによって、彼の仕事も随分増加している。
廊下の角まで来ると足を緩めた。西側の廊下はまだ斜陽の名残があった。
「ケイ。居るのでしょう」
「は、はいっ」
薔薇が生けられた花瓶の影から顔を覗かせたのは、登城して僅か数年のトカゲだった。夕陽色の髪をした少年が絨毯の端に躓きながら白兎の前に進み出る。
「彼女の所在は貴方に任せたはずですが」
平坦な白兎の言葉に、目に見えて頭を垂れる。
「はい……申し訳ありません」
「この城の中でなら、彼女はどこで何をしていても構わない。けれど、アリスが何処に居るのかは極力把握しておきなさい。分かったね」
兎の声は穏やかな中にも鋭く、表情さえ眉根一つ動かさないままだ。
若年の見習いとしては、こういった場合正面から叱られたほうが幾分か気は楽になるのに。
「か……畏まりました。いえ、承知致しております」
一段と身体を萎縮させる。後頭部に冷え冷えとした視線を感じて息が詰まった。
「……何か遭ってからでは遅いんだ。この世界はまだ安定していないのだから」
射る様な視線が消えて、代わりに独り言にも似た言葉が落ちる。
鋭さを保とうとする合間の、ふと滲み出る憂い。役職を第一とするはずの彼の、一瞬の揺らぎだった。
トカゲは思う。
こういうところが『冷たくない』と思うのだけれど、いまいちその気持ちがアリスには伝わっていない。
彼の苦労がアリス――リラに届く日は果たして来るのだろうか、と。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと