小さな鍵と記憶の言葉
随分歩いたなぁ。廊下の途中に添えられていたソファで一休みしながら、高い天井を眺める。
結局、薔薇園や蔵書室どころか庭師さえ見つけられていなかった。この城に慣れているダミアンが翻弄されているのだから、当たり前といえば当たり前かも。
重い腰をあげて、絨毯の上をふわふわと歩く。あれからどれくらい時間が経ったのかは分からないけれど、窓の外の曇天もわずかに向こう側から黄昏の色を滲ませている。東の空もいよいよ暗い。
仕方無い、この辺りで部屋に戻ろう。そう踵を返したところで、思いきり正面から何かとぶつかった。
「こんな所で何をなさっているのですか」
「あ……フィン」
痛さよりも衝突の衝撃に頭を抱えていると、少し上から声が降ってきた。とっさの出来事でもそつなく受け止める辺りは流石白兎といったところ。肩口のレースのシワを直してくれながら、静かな瞳を私に向ける。
「三時の鐘の頃にはお戻りになるよう、皆も申していたでしょうに。あまり遅いと夜に魅入られてしまいますよ」
「なぁに、心配してくれるの?」
彼の気のなさに慣れてしまっていた私は、ふいに口から零れた言葉に驚きを投げかけずには居られなかった。
「それは勿論。今この時のアリスは貴女ですからね。それに」
白兎は刹那、言葉を切る。
「それに、ちゃんと帰すって約束したのだから」
アメジストの瞳が私を見下ろす。私は返す言葉を探していた。同じ色なのに、その中に他の色を見つけた気がして。言葉も少しだけ、いつもよりなだらかで。
「部屋まで送りましょう」
呼びかけようとしたところで、彼の瞳が離れた。私の前に立ってちらりと視線だけを寄越す。
「一人で平気……と言いたいところだけど、お願いしようかな」
私も真似して、ちらりとだけ彼に視線を返して。
そうしてフィンの少し後ろを、アヒルのヒナのみたいに付いて行った。
「ねぇ、フィン?」
歩幅を縮めて、彼の横顔を軽く見上げる。その瞳は、やっぱり感情が見えない。
「はい、なんでしょう?」
「……やっぱりいいや。今度にする」
今はまだ、やめておこう。軽く頭を振ってもやもやを追い払う。
溜め息と一緒にそう応えると、小さく微笑んだような気もした。もしかしたら、思っているほど分かり辛い人じゃないのかもしれない。
「畏まりました」
時を知らせる鐘の音が、随分近付いて来ている。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと