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小さな鍵と記憶の言葉

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「それにしても、どこまでも広いんだから……」

 ケイと別れた後、気ままにふらふらと城の中を散策した。何度通っても憶えられそうにない城内は、窓の外を目印にして歩く必要があった。でなければ、偶然通りかかったカードや薔薇に声をかけてもいい。妙な場所に紛れ込んでも怒られない。アリスになって良い事といったら、このことような気がする。
 窓の外を見下ろすと、時計塔の下に中庭が見えた。噴水の流れが煌く、シンメトリーの庭園だ。そうだ、あそこに行ってみよう。

 窓の外に見惚れながら歩いていく。曲がり角で誰かと擦れ違った。その誰かの髪の色が綺麗に輝いた気がして思わず振り返る。しかし振り返ったその人の髪は、私の思った色とは異なった。綺麗なことに変わりはないけれど、穏やかな琥珀色だ。
 おかしいな、冴え渡った金の色だったと思ったんだけど。
 私の視線に気付いてか青年が振り返って微笑む。私は慌てて会釈を返すと、小走りで廊下を突き進んだ。

 下りた中庭に知った顔を見つけて声をかける。新緑の中でも、彼の灰黒色の後姿は穏やかに見えた。
「ダミアン!」
 私に気がついた執事長もまた、ふわりと表情を和らげる。
「散策ですか、リラ」
「そうなの。ダミアンは仕事?」
「ええ。庭師を探しているのですが、なかなか見つからないのです」
 一体どれほどの時間をかけて捜索しているのだろう。温室の手入れが途中だというのに、と零す姿は珍しく疲弊しているようだ。
「私も探しておくよ」
「では、どこかで見つけたら『三月兎が探していた』と伝えていただけますか。城の中で唯一銀の髪をした男ですから、すぐに分かると思います」
 アリスのお茶会の席を思い出す。そういえばテーブルの端で始終眠っていた少年がいたっけ。

 心底困っているらしいダミアンを拘束してしまうのも忍びないので、またも早々に別れを告げる。
 ここでは誰もが熱心に働いている。何もしていないのは私ぐらいじゃないだろうか。
 やっぱりダミアンにでも頼んで次は何か手伝わせてもらおうか。こう見えてガラス拭きや書架整理など、黙々と出来る地味な仕事は嫌いじゃないのだ。ただし仕事をするには空色のエプロンドレスでは動き辛いかもしれないけれど。

 空色――そういえば、この城に来てから灰色の空しか見ていない気がする。もう一週間は経過しているけれど(そのわりに、暇なせいもあって一日が凄く長く感じる)、来る日も来る日もどんよりした空だ。
 雨が降るわけでもなく、太陽が顔を覗かせるでもない。ひたすら分厚い雲が一面を覆っている。本当に太陽があるのかと疑いたくなるくらいに。
 先刻まで見上げていた塔の鐘が三時を知らせる。
 空模様のせいで、あの音だけが時を知らせる手掛かりだ。部屋に帰ろうとも思ったけれど、やっぱり蔵書室や薔薇園を見つけたいという気持ちが強くて廊下を渡った。
 見つけるだけ見つけて、堪能するのはまた明日にしよう。

 明日、かぁ。明日になれば家に帰れるだろうか。
 そろそろ楽器の練習もしたいし、自宅の寝慣れたベッドも恋しい頃合いを迎えているというのに。