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小さな鍵と記憶の言葉

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 白兎のことが信用出来ないのは、ここに来てからずっとだ。
 この城壁に囲まれた城の中で、心細さに萎縮する私に向けた瞳。言葉。優しそうに見えるのに、心の奥の見えない微笑み。
 労いが欲しかったわけじゃない。ただ理由を教えて欲しかったのに、彼は私を置き去りにしたまま何も言わない。それは今もだった。あのアリスのお茶会の後でさえも、《アリス》の約束をした後も、兎はアリスの前を駆け抜けるだけ。

 あの日。あのお茶会を開催した日。
 ゆっくりと開いた観音開きの扉。長い長い机の果てにある、唯一の空席。彼に促されて就いたのは主催者のための椅子。「席に着いたら、名を名乗ってください」と、たったそれだけ言葉を受け取った。
 顔見せとはいえ、小難しい手順や作法があるものだと思っていた私は少し拍子抜けした。
「それだけ?」
「ええ、それだけですよ」
 いつものように、軽く往なすように頷く。それきり黙ってしまったので何を言うことも出来なかった。

 まるでここでの私の役割を示されている気がして。
 『何もしなくていい』。
 私が仮初めのアリスだからなのか、それとも私が『水面の向こうの少女』だからなのかは知らない。けれどそれは、役に立たないと先手を打たれているのではないか。

 《アリス》として担ぎ出されただけ。
 そうだ。余所から連れて来た人間を女王に据えるくらいなのだ。
 結局はその程度の役割でしかない。替えの効く『代用品』なら必要とされているとは言わない。私がいなければいないで誰かがトップを担うだろう。
 この感覚は、少し前の私と通じている。
 どうせ役になんて立たない未熟な存在なのだ。それで構わないのなら、せめて三月兎や薔薇達や芋虫への御礼としてお茶の席に着こうと思った。
 ここに居る理由はただそれだけ。

『はじめまして。リラ……如月莉良です』

 あの時。アリスのお披露目のお茶会の時。私は白兎に促されて唯一の空席に腰を下ろした。
 それだけなのに、室内には私を――アリスを歓迎する気配が広がる。

「ようこそリラ。貴女の到着を待ち侘びておりました」
 そう言って立席していた青年が深く腰を折る。彼の役割は《帽子屋》。この城の《お茶会》を統べる人間だ。私の馴染んだ言葉に置き換えると議長というところだろうか。
「中には既に顔を見知った者も居るでしょうけれど、まずは私共から名と役の紹介をさせていただきます」
 広間には十数名程の人間が集まっていた。その彼らが一人ずつ立ち上がり、来賓のように名前と役職を述べていく。中にはルーシャやダミアンの姿もある。
 一番端の席で転寝をしていた少年が、三月兎に促されて目を開ける。銀色の髪がまるで絵画のように綺麗だった。彼を締めくくりとして口上は終わったけれど、勿論全員を覚えられた自身はない。どちらかというと彼らの誰が何の役割なのかの方ばかりに集中してしまった(やはりどれもアリスの登場人物と同じだった)。

「それでは、新しいアリスの着席に感謝を」
 結局お茶会は本当に顔合わせの意味合いが強かったようで、その後も簡単な言葉のやりとりがあっただけで散会となった。


 全くと言っていいほど、実感というものがない。これで私はアリスなのだろうか。これから私は何をすればいいのだろう。

 けれどきっと、白兎に聞いても答えは一つだけ。
 『何もしなくていい』。たったそれだけ。

 その言葉は私に深い安らぎと、同じくらいの困惑をもたらすばかりだろう。
 だから私は、彼に尋ねることをやめる。