小さな鍵と記憶の言葉
懐かしい音がする。
規則的で、私が好きだった音。
ずっと懐かしい、幼い私の好きだったもの。
カチ、コチ、カチ、コチ。
やがてそれは耳元から離れ、全身を包み込むように飽和する。
カチ、コチ、カチ、コチ。
まるで海の中にいるような心地良さ。
ふわふわと一緒に揺れる。泣きじゃくっていた子供だって、いつの間にか眠ってしまう――そんな穏やかさだった。
私は泣いていないけれど、まるで泣き疲れたように波に身体を預けていた。
温かい暗闇、優しい音。
いつか、こんな心地を憶えた気がするのだけれど。
それすら思い出すのもやめて、ただただその中に身を沈める。
カチ、コチ――カチ、コチ。
今は、この優しさが醒めるまで。
目を開けると、やっぱりアリスの部屋だった。
どうやら転寝をしてしまったらしい。ふかふかのソファから身体を起こして、ぼんやりとした窓の外を見上げる。
相変わらず、空ははっきりしない色。早朝でも夕方でもない、まして夜では決してない斑色の空。雲を通して僅かに下りる光。おかげで、いったいどれくらい眠ってしまったのかも分からない。
私は立ち上がり背筋を伸ばした。特に何をするつもりでもないけれど、部屋を出ることにする。
押し開けた扉の外は赤い絨毯の広がる廊下。そして私が袖を通すのは、相変わらずエプロンドレス。振り返ると静かな部屋で時計の音だけがやけに大きかった。
夢はまだ醒めそうにない。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと