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小さな鍵と記憶の言葉

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 私はそのフットマンを招き入れて――といっても、扉を開けてくれたのは彼だけれど――ソファに座って紅茶を用意をする彼の様子を眺めていた。
 まだ緊張はしているみたいだけれど、さすがに《アリス》のティータイムの用意を任されただけはあって手際が良い。

「ミルクティでよろしいですか。お茶請けはどれにいたしましょう」
「どれも美味しそうだから、オススメのを選んでくれる?」
「では、こちらのカシスとオレンジソースのクラシックショコラを」
 そう言って可愛らしいケーキをひとつ、真っ白なお皿の上に添える。彼の話ではパティシェの自信作らしい。じろじろと見られても眉ひとつ動かさない彼に、ふと声をかける。

「ねぇ、貴方はここにどれくらいいるの?」
「は、はい。私ですか?」
 彼は驚いたように顔を上げる。その表面にみるみる緊張の色が広がっていく。
「そんなに身構えなくていいよ」
 私がくすくす笑うと、なんだか照れたように口角を上げた。
「私と同じくらいかなって思ったの。貴方のお名前は?」
「ケイ、です。グレンヴィル家のケイと申します」
 なにやら畏まった言い方で少年は名乗った。どことなく古風で、それでいて所有物みたいな言い方だ。ちょっと不思議には思ったけれど、改めて彼に質問する。
「それで、ケイはどれくらいここで働いてるの?」
「今の仕事として働き始めたのはつい最近です。その前は役名もない本当の下働きで、元々は城下町のほうに居ました」
 私は相変わらず、ケーキを乗せたお皿や柔らかい湯気を上げるティーカップが揃えられていくのを眺めていた。話しかけるのはマナー違反かなとも思ったけれど、ケイも嫌そうではなかったので構わずに続ける。
「それにしても手馴れているのね」
「僕なんて大したことはないです。なんたって《トカゲ》ですから」
 謙遜したようにケイが首を振る。
「《トカゲ》?」
「一番下っ端って意味です。《魚》でも《蛙》でもない召使い……三月兎は勿論のこと、薔薇達の足元にも及ばないんですから」
「そうかしら」
「そうですよ」
 私が首を傾げると、彼は少しくすぐったそうに微笑んで、小さく頷いた。


「ありがとう。紅茶もケーキも美味しかったよ」

 白磁のカップが空になったところで、そっとテーブルクロスの上に手を下ろす。後片付けもまたてきぱきと見事なものだった。ケイは否定していたけれど、やはり随分腕はいいのだと思う。
「こちらこそ、お騒がせしてしまって申し訳ありませんでした」
「いいのいいの。それより、また会えるかな」
「勿論です。アリスにはご迷惑かもしれませんが」
「ううん。楽しみにしてる」

 頷くと、ケイが畏まったように会釈をする。それからふいに詰めていた息を吐いて、やわらかく微笑む。もう殆ど緊張は残っていないようだった。
「良かった」
 なに、と性懲りもなく尋ねてしまう。しまったと思うものの、やはりケイは気にせずに応えてくれる。
「新しいアリスがどんな方なのか、ちゃんとお仕えを全う出来るのか心配だったんです」
 そうか。緊張していたのは何も下っ端だからとか、私が異国人だからといった理由だけではなかったらしい。
 私はアリスのことを否定するのも忘れて聞き重ねる。

「前の《アリス》はどんな人だったの?」
「いえ、僕も詳しくは知らないんです。……ただ」
 ケイは僅かにシャンデリアを見上げた。まるで、その光の向こうに見えるものを確かめるように。
「笑うと目じりが下がって、とても温かい表情だった印象がありますね」

 仕えにあがって間もない少年が見た、以前の《アリス》。どれだけの面識があったかは分からないけれど、それでも彼にそう言わしめる存在。
 きっと彼女は、私とは比べ物にならない程に立派だったのだろう。優雅で、知的で、この場所を深く包み込むような。

「穏やかな人だったんだね」

「ええ、とても」

 私が呟くとケイは静かに頷いた。

 そして私の心の中には、覚えある斑色の雫がひとつ、落ちていった。