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小さな鍵と記憶の言葉

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 * * *

 白兎がホールの隅の滑車に手をかける。中央に繋がった鎖はずるずるとバンダースナッチごと持ち上がる。
 弛められた鎖から少し開放されて、文字盤がひとりでに宙に浮かんだ。ちょうど《アリス》の目の高さ。いつの間にか針は動きを止めていた。
 辺りを見渡して、少女はすぐに螺子巻きの穴を見つける。普通の時計と同じように、針の接合部分の真下に鍵穴のようなものがあった。指差して、あれね、と水面の向こうの少女が呟いた。

 白兎は、幸福と不幸を同時に抱えていた。
 魂が吹き溜まった器は、いつしか感情を持つ。人間と同じように考え、感じ、無限の日々を過ごしていく。存在を保つには誰かの愛情が必要だった。自分を必要としてくれる人、手元において、飽きずに見守り続けてくれる人が。
 愛してくれた誰かが見向きもしなくなった瞬間、彼らは本当に消えてしまう。だから『僕達』はここに集まった。
 彼らは愛情を注いでくれる人に心を預ける。愛してくれるひとのために、自らの持つ役割を果たす。身を削って、魂をかけながら、この箱庭を彩っていく。
 それが本当は自分達のためだと、薄々察しながら。

「そうだ。ひとつだけ、聞いておきたいんだけど、いい?」

 鍵を手に、直前になってリラが兎を振り返った。突然の言葉に驚きながら、なに、と白兎は問い返した。代わりに返されたのは微笑だった。

「私が螺子を回しても、フィンは変わらずに《白兎》で居てくれる?」
 正答を探すのに聊か時間が必要だった。思ってもいない言葉だ。彼女が何処で気付いたのかも分からない、けれど。白兎は気を取り直す。微笑を持って彼女の『案』を受け入れることにした。

「トカゲも、騎士も。ケイは前のアリスの兎候補だったんでしょう。誰一人欠けない元通りのお城になるかな?」

 以前のアリス達は……いや、《アリスになり得た人達》は、彼らに愛情は分け与えてくれても心までは注いでくれなかった。
 仕方ないんだ。『僕達』を創ったのが人間である限り、僕達とアリスは同等ではない。必ず僕達は慕う側で従う側。だから壊されることを恨むことはできないし、忘れられることを拒むことは叶わない。

「ありがとう」

 ――それでも僕達は待っていた。誰かが振り向いてくれることを。誰かがもう一度愛してくれることを。

「約束するよ。君が望むなら、誰一人捌かれることはないだろう」


 だからね、リラ。
 僕は君に逢えただけで充分だったんだ。