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小さな鍵と記憶の言葉

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 薄暗い回廊を、ローファーの踵を響かせながら走った。
 一週間前とは似ても似つかない、窓からの光さえ一閃も照らさない城内。高い天井も幅広い廊下も、今となっては陰鬱で静謐だ。
 城の中であっても、ひとの気配ひとつない。それでも私は、とある場所を目指して息を切らした。時折道行く隅に食器や装飾品が落ちていて、それを危なっかしく避けながら走る。

 『フィン・フロストは時計塔の地下にいるよ』。

 今はチェシャ猫の言葉を頼りにするしかない。執務室も謁見室も見向きもせずに、ただただあの時計塔を目指していた。城の象徴と言うべき大きな時計塔。そうだ、確か、私が一番最初に迷い込んでカードに窘められたあの扉の向こう。

 私は道を急いで、三月兎の庭を突っ切った。薔薇に囲まれていた庭園は、今はその鮮やかさの見る影もない。ジョシュアが優雅にお茶を楽しんでいたテーブルはそのままだったけれど、やはりそこにも友人の姿はなかった。
 まるで先刻まで紅茶を楽しんでいたかのように、真っ白なクロスの上には紅茶の入ったカップ。見慣れないのは新調したらしい白磁の優美なポットだった。
 なんて綺麗なポットだろう。アンティークのようにも見えるけれどよく手入れされている。
 それから、テーブルの反対側には何故かガラスのランプが飾られている。こちらも私の見慣れないもので、それ以前にどうしてこんな屋外に、と一瞬だけ首を傾げる。
 対岸の廊下へ上がる。けれど、ここで失敗に気がついた。――鍵が開いていない。
 ガチャガチャと揺さぶってみたけれど、すぐに頭を切り替えて来た道を戻る。

 段々足が言うことをきかなくなってきた。スタミナなら吹奏楽で鍛えられていると思っていたけれど、やっぱり運動能力はそう簡単にあがってくれないらしい。
 一度二階へ上がって連絡通路を抜ける。途中でルーシャの部屋を通りかかる。やはり部屋の中に気配はない。
 ――皆、何処にいってしまったのだろう。
 ふと目を遣ったのは偶然だったけれど、廊下の窓際に何か大きな実験装置のようなものが置いてあるのに気づいた。
 確か、水煙草だ。そういえばここはルーシャのお気に入りの場所で、よく通りがかりの薔薇に喫煙を注意されるのをかわしていたっけ。
 これがルーシャのものだというのは確かのようだ。けれど、やっぱり私は見せてもらったことがない。
 少し行った所に今度は装飾ナイフが落ちている。更に進めば、今度はトランペット。なんだろう、今日は城のあちこちで見慣れないものが妙なところに置いてばかりある。それなのに、顔見知りには全くもって会えていない。

 傷のついた水晶玉。東洋風の水差し。年代もののドレス。どこかの貴族の紋章が刻まれた宝石箱。ああ、そういえば、あの紋章は《王》が身につけていたネクタイピンにもあった。そうすると、あれもまた彼のものだろうか。すぐ傍には大きな石のブローチ。これはこれで値が張りそうだ。そういえばこれは《女王》の髪留めとデザインが似ている。

 それに気付いた途端、なにかそわそわと落ち着かなくなる。恐る恐る今来た道を振り返る。
 どうしてだか、どれも全て『誰か』の顔を連想させるものばかりだ。なのに、誰一人姿がない。
 まるで彼らの代わりにそこにあるような。

「――まさか、ね」

 呟いた独り言には説得力がない。
 散らばったトランプ。薔薇の飾られていない花瓶。床に直接置かれた銀食器。放り出されたペーパーナイフ。
 まさか、まさか。
 そしてその思いは、鳥籠を通り抜けるときに確信に変わる。