小さな鍵と記憶の言葉
――かちり。
私が彼の名を呼んだ、次の瞬間。どこかで金属の身動ぎする音がした。それはとても僅かな響きで、聞き間違いかと思ったまま耳をそばだてた。
その音は、もう一度空気を振るわせる。
かちり、かちり。
カチ、コチ。
まルるで、そう、時計の振り子のような。
もしかして。
私はどきどきしながら音のほうへ、噴水へと近付いていく。
もしかして、私が鍵を持ち、望めば、入り口を開けることができる?
飛沫に揺れる水面の奥をじっと覗き込む。ゆらゆらと歪む空色の塗装は、綺麗に清掃されているのか葉っぱすら浮かんでいない。そんな中に、小さく黒い影を見つける。
それは――それは、小さな鍵穴に見えた。目を凝らして、水に濡れるのも構わずに手を差し入れた。けれど指先で探ってみれば実際には鍵『穴』ではなくて、鍵穴の形に黒く塗り潰されているだけのようだった。誰かがイタズラで描いたような。でも。
ざわざわとして心が落ち着かない。震える手に金色の鍵を握った。
もしかして。
駄目元だと思いながら、水中に手を入れた。金色が空色に良く映えた。その鍵穴の影へと、ゆっくり、鍵の先端を向ける。
ゆっくり、ゆっくりと。鍵穴へ差し込むように。
すると――
カチャリ。
「入った!」
そう叫んだ途端、水の中から光が溢れた。振り子の音が強く大きくなってくる。空色だったはずの水底が海のように青くなって、真下から日差しが差し込むようにきらきらと揺らめいた。
湖の青だ。
「ワンダーランド……!」
私はその中へ思い切って飛び込んだ。後先のことは考えていなかった。
帰れなくなるかも、なんて。
大丈夫、入り口があれば必ず出口がある。
それよりも私には、やらなきゃいけないことがある。
待ってて。お願いだから。
作品名:小さな鍵と記憶の言葉 作家名:篠宮あさと